1999年8月13日
8月6日(1999年)の信濃毎日に、
「信州は教育県」わずか6.6% 県民意識調査 「現役大学進学率低い」
……という見出しで、長野県世論調査協会という団体が実施したアンケート(※)の結果を報じた記事が載っていました。
※アンケートの調査方法:3月から4月にかけ、県内の20歳以上の1200人を有権者名簿から無作為抽出し、郵送で行った。有効回答数は772人(男女とも386人ずつ)で、回答率は64.3%。毎回テーマを変えて県民意識を探る「われら信州人」シリーズの5回目。
問題の「長野県は教育県だと思うか」という質問に対して選択された答えは、次のような比率でした。
長野県は教育県だと思うか (%) 思う 6.6 思わない 65.8 なんとも言えない 21.4 分からない・不明 6.2
記事を見ると、年寄りはまだそれでも“教育県”だと思っていて、最近まで長野で教育を受けてたんであろう若者とその親なんかは全然思ってないようです。
「長野は教育県」というのは、大学入るまで長野県が何県にあるのか知らなかったような僕ですら聞いたことのある決り文句で、なるほど、なんか知らんけどそうなのか、と思っていたものです。具体的に何がどうだったら“教育県”なのかはわかりませんが。(「長野 教育県」で検索:フレッシュアイ、インフォナビゲーター、インフォシーク)
しかし県民の実感をそこそこ反映してるであろうこのようなアンケート結果を見たので、教育県と云われてたのも今は昔なのだなあ、と、曖昧な認識を曖昧なりに改めることにしました。
でもじゃあなんで昔そうだった(らしい)ものが今はそうじゃないの、と思いますが、ここでアンケートはその理由をスルドク問うています。
教育県だと思わない理由は
(思わないと答えた人に、2つまで)(%) 高校現役生の大学進学率が低い 46.7 かつての教育県の良さが今はない 43.7 教師や学校施設が良くない 18.7 信濃教育会が指導力を持ちすぎ 16.9 住民に地元の教育を軽視する傾向 7.9 特に理由はない 11.4
これは自由記述でなく選択式だから、回答はどれもアンケートを行った側が用意したものだけど、何ですかこの四番目の「信濃教育会が指導力を持ちすぎ」てのは。なかなかすごい理由だ。「指導力が弱い」だったらともかく「持ちすぎ」だもんな。“役に立ってない”じゃなくて“害がある”ってことだもんな。
「かつての教育県の良さが今はない」てのも、一体何の話をしているのか、県民以外にはほとんどおしはかることができない(県民でも若い人はわかんないかも)。しかし「かつての教育県」の誉れは、少なくともその一部は、この信濃教育会が築いたと思っていた、思われてたものなんじゃないの?(「信濃教育会」で検索:フレッシュアイ、インフォナビゲーター、ヤフー/goo)
だったらこれは、設問に対してもその獲得ポイントに対しても、信濃教育会の人は不機嫌になるだろう。それでつまりしかし同時に、当事者たちもこの評価のいくらかは承知せざるを得ないような現状が、かなり明らさまにあるんだろう。
これが凋落というものかな。