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和光大学祭!?

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和光大学祭についてテッテ的に話せる掲示板
和光と学祭関連の話題なら何でもオッケー(この掲示板のルール

2002年の和光大学祭がはじまりました


松永洋介 本掲示板の終了について 2004年01月03日(土)22時20分34秒

Virtual Avenue(この掲示板が置かれているサーバの会社)が、サーバの提供方針を変えて、無料サービスを近日中に廃止することになったようです。
それに伴って、この掲示板はどうするかというと、終了させることにしました。
ログはとってあるので、そのうちアップしようと思っていますが、いつになるかはわかりません。必要なかたは、ご自分で保存しておいてください。
ながらくのご愛用ありがとうございました。

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松永洋介 27日付掲示「学生のみなさんへ」 2003年10月30日(木)20時08分35秒

当局の掲示「03大学祭を実施するにあたって」

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松永洋介 3つのタテカンと「全学のみなさんへ」 2003年10月23日(木)21時38分29秒

きょう大学へ行ったら、こんな掲示が出ていました。

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松永洋介 8日付けの大学側の掲示「学生のみなさんへ」 2003年10月09日(木)23時35分50秒

きょう大学へ行ったら、以下のような掲示が出ていました。
―――――――――――――――――――――――――――
学生のみなさんへ
                学生生活部長
                  岡 本 典 子

 2003年度大学祭について

1.10月8日現在、学生生活部としては「大学祭」の実行
 または中止について何も判断していない。

2.現在立ち上がっている「大学祭共同体」は、従来の大
 学祭機構とは別の組織と認識するが、10月15日(水)
 12時10分から「大学祭共同体執行委員会」と大学祭
 について話し合う用意がある。
                        以上
―――――――――――――――――――――――――――
学祭実施に伴う休講措置を決定するとしたら明日10日の教授会しかない、という噂も聞いたのですが、どうなってるんでしょうね。

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松永洋介 「03和光大学祭掲示板」ができてました 2003年10月03日(金)10時44分18秒

03和光大学祭掲示板
http://www.kodama.com/bbs/wakogakusaibbs/

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松永洋介 03学祭のタテカンが出ていた 2003年10月02日(木)20時22分50秒

きょう大学へ行ったら、以下のような掲示が出ていました。
デジカメ+OCRおよび手打ちで松永がコピーしたものなので、転記ミス等あればすべて松永の責任です。個人名は伏せました。

全学の学生諸君、この指とまれ!
我々は2003年度学祭をよびかける


 後期授業日程も始まった9月現在、いまだ学祭よびかけはなされていない。前期の時点から、夏休み前によびかけがなけれぱ学祭の開催が危うい、という声は聞かれた。そして、今年は学祭ないの?何で学祭ないんですか?などという質問。状況はあまりに情けない。和光生にとって学祭は「ある」とか「ない」といったものではない。ただ「やる」ものではなかったのか…。
 大学構内に生活基盤を置くものとしてこの停滞を鋭敏に感じ取った我々寮生は、97年以降一度も行われていない寮祭を企画していた。テーマは「復活」。今確実に失われつつある、和光寮生文化の、地域住民との交流の、復活である。全学総意の祭りができないならば、我々がやるのみである。
 11月8日と日程も決まり、寮祭の宣伝を始めた直後、寮生にひとつのお誘いがあった。写真家・森住卓を招いての講演会をこの和光大学で企画している学生がいるので、その他の企画も募集し、せひ寮祭も歩調を合わせて和光の文化祭としないかというのだ。聞くところによれぱ、イラク侵略戦争などの写真報道で今まさに時の人である森住氏の講演に感動した和光の一年生たちが、是非和光にも招きたいと氏にアポイントを取り付けてきたというのだ。その日程は例年の学祭期間と同じ11月4日に予定されているが、学祭があろうとなかろうと、講演会は開催するのだという。これはまさに和光学生文化の合言葉、自力更生の精神である。そして偶然にも同日、学祭を行いたいがどうすればいいのか教えてほしいという、これもまた同じく一年生からの相談が、なんと2件も寄せられた。寮祭実行委員会はその日のうちに学祭機構役員経験者を招いた緊急会議を招集、ひとつの結論に至った。そう、我々は全学に対し、03学祭をよびかける!森住卓講演会を学祭の核とし、寮祭を後夜祭的な打ち上げ企画として位置づけて、志ある和光の各サークル、ゼミ、個人を問わず企画を募集する。
 しかし、学祭を立ち上げるには遅すぎたのかもしれない。大学当局の指定する学祭期間、11月初旬までは後1ヶ月。学祭運営に関わるすべての事柄を、学祭に関わる全ての者が徹底討論し合意形成する、というあのスタイルを貫くにはあまりに時間がない。本年度は、各企画の可能性がある程度限定されてしまうとしても、とにかく学祭を行う。この一致点でまず合意を得たい。その上で、よびかけ会議で選出する執行委員による意思決定での学祭運営を提案する。各企画を含めた学祭運営総体の名称は、例年の学祭機構システムとは異なっているという意味を込め、「学祭共同体」としたい。
 学祭共同体の詳細はよびかけ会議で決定する。企画参加したいもの、学祭運営に興味のあるもの、あるいは単なるお祭り好きでもいい。是非、よびかけ会議に出席してほしい。もちろん学生・教職員の別は問わない。生協職員やアオイサービス社員、警備員のおじさんだって大歓迎である。とにかく、学祭のすべてはここから始まる。

2003.9.29   寮祭実行委員会有志
        (個人名4人連名)

        森住卓スライド&トーク実行委員会
        (個人名12名連名)

もうひとつ。

公示
2003年度和光大学祭よびかけ会議
日時 10月3日(金) 18:30
場所 D-306教室(小講堂)


よびかけ団体 寮祭実行委員会有志・「森住卓スライド&トーク」実行委員会
賛同団体 うどん事業部・かわ道楽・学生寮ジェンダーフリースペース206・部落問題研究会
     和光大学反戦アクション・生活研究会
議長 (個人名)

よびかけ会議方式
 ・議長、よびかけ団体代表者による議事進行
 ・企画参加表明団体各一票ずつの多数決制する(原文ママ)
 ・よびかけ団体、企画参加表明団体は議題提起権を有する
 ・企画参加表明は会議当日、受け付ける

予定されている議題
 ・学祭共同体基調案の承認
 ・執行委員の選出

以上
2003年9月29日 寮祭実行委員会有志
「森住卓スライド&トーク」実行委員会

これ以外に、基調案概要というのもありました。
日程は11月2・3・4だそうです。

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あづき スズキケイスケ初出版 2003年07月04日(金)01時50分48秒

松永さんお久しぶりです
突然ですが、お知らせをさせてください。
不適切な書き込みであればお手数ですが削除願います。

スズキケースケ「私編 岡上風土記稿」出版記念

7月20日16時半より和光大学ホーチミン広場付近にて開催

参加費
卒業生、その他関係者
本代込み 5000円
和光大学学生
本代別   1000円
本購入の場合はプラス2000円

なお、「私編 岡上風土記稿」は約10年にわたり「エスキス」に人間関係学科教授の鈴木先生が掲載されていた原稿を再編、加筆したものです。
同時に挿絵を担当されていた芸術学科の川添先生の展示即売会も行います。

鈴木ゼミ卒業生には郵送で案内状を差し上げているのですが、その他の関係者の方たちには連絡を取ることが困難なため、この場を借りてお知らせいたします。
お誘いあわせの上ぜひご参加ください。
なおあらかじめ人数を把握させていただきたいので、参加意思のある方はお手数ですが、このスレッドに一言レスをお願いします。

全く無関係な方には長々とスレ立てしてしまい、申し訳ありませんでした。

 出版記念パーティー在学生発起人  01R046 亜月

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かまど有志 和光の文化、かまどに火と人を! 2002年12月17日(火)01時55分04秒



ホーチミン広場のかまど周辺のタイル化について

和光大学 宛

 一学費納付者として。
 ホーチミン広場のかまど周辺のタイル化についての抗議期間を、貴方は12月15日まで設けると定めたようですが、まず一つ誤解を解いておきたいのは、この文書はそれに即してタイル化に関する抗議文ということではなく、貴方が定めたこの抗議期間そのものに対する抗議である主旨をご理解頂きたく思います。
 というのは、そもそもこの件に関しては、貴方が我々学生の知らない所で、学生の意見を交えない形で一方的に出された案であることが、今回の根本的起因であります。しかも、学生に対して「抗議期間」を設けたということは、その時点で貴方の案は「提案」というレベルを超えて、ほぼ「決定案」となっている印象を受けます。
 本来ならば、「こうこうこういうような案があるんだけど、学生諸君はどう思うかな?」と、貴方が学生に対して「話し合い」をしませんか?というように、まず「提案」という形で学生の意見を聞くべきであります。従って、一方的に案を出し、ほぼ決定したような印象を与えるような「抗議期間」という名称そのものが不当なものと判断せざるを得ません。
 また、そもそも何故タイル化の案が出てきたのか、その目的とかかる費用や今後の活用方法などの詳細を、その「話し合い」の中で貴方が学生に対して説明するべきであり、そのような段階を経て、つまり話し合いの土台、お互いの正しい認識と理解をもってから、双方の意見を出し合う、という形にすることが正当な方法であり、その時点で初めて「話し合い」というものが成立するはずであります。
 和光は学園全体で、徹底した民主主義教育と平和教育を一貫していることを明言しているようですが、このような状況を果たして民主主義と言ってもよいのでしょうか。私たち学生は、このような非民主的な自体を、例えば和光学園の後輩である和光小学生たちに見せられるかと言うと、とても恥ずかしくて見せられません。時代を先行く私たちは、彼らにとって民主主義の手本的存在であってしかるべきなのに、このような自体が和光大学で起こっているとなれば、和光学園全体に関わる問題でもありますし、大学でのこのような非民主的な実態があると知ったら、果たして民主主義教育を希望する父兄たちはどのような印象を受けるでしょうか。
 また、前期のかまど撤去の問題に関してもそうですが、私たちは貴方と戦うような気は全くありません。というのは、一部の教職員の間では「かまどは反日共のシンボルだ」というような噂が流布されており、それが学校側と学生側の衝突を煽っているようだからです。ここで訂正しておきますが、かまどが建てられた当時はそのような実態はあったかもしれませんが、現在2002年においてはそのような事実は全くありません。私たちにとってかまど、そしてホーチミン広場は他学部、他学科、留学生、教職員、障害者たちと「みんなごちゃまぜ」に交流できる本当に貴重な場であり、まさしく異文化コミュニケーションのための広場だと誰もが認識しております。従って、もちろん私たちは貴方と平和的解決を望んでおりますが、しかしながら貴方が十分は説明責任を果たしていない事により、学生の間でも様々な情報が行き交い、貴方の意向、動向の正しい認識をしているものはごくわずかであります。もしも貴方が意図的に、情報の小出しや学生を排除するような形をとっているとすれば、それはただ学生からの反発を煽るだけであり、もちろん民主的解決には全く程遠い話ですが、学園が掲げている平和教育とも矛盾するでしょう。学校と学生という、世界から見れば非常に小さい社会の中ですが、それでも一方が背を向け、民主的解決の道を目指さないのなら、どうして平和がもたらされるでしょうか。平和、和平というものはそのような非常に小さな、身近な社会から生まれてくるものではないのでしょうか。少なくとも私たちは、この学園でそのように教育を受けてきたはずです。
 日本全国、小中高大、様々な学校と比べても、和光学園は「民主主義」が現実的に生きている類稀な学校です。現在、住基ネットなど国家レベルでも国民の管理化が進み、新たに「民主主義」が問われる時代に来ております。その中で和光は今後、せっかく今まで生かされてきた民主主義をそのまま生かすのか、それとも殺すのか。民主主義は和光の要であったはずです。前期のかまど撤去の話にしても、今回のタイル化、そもそもA棟建設やエレベーター棟建設についても共通することですが、その和光の要をなくすのなら、それは学園の全学生とその父兄、さらに全国に配られる和光のパンフレットにもそれを明文化し、その後で独裁的管理をやるべきであります。このような状況では、自分たちの生活を凌いでまで高額な学費を払っていることが、馬鹿馬鹿しい限りです。
 貴方は私たち学生から比べれば、民主主義や民主的話し合いについてはさぞかし勉強されていることでしょうし、また豊富な経験もお持ちでしょうから、私たち学生を貴方から民主的解決への道へと導き出してくれることは、朝飯前程度のことでしょう。私たちは平和的、そして民主的解決を強く望むとともに、その第一段階として、一方的な抗議期間の設定そのものを取り消し、民主的話し合いをすることを強く望みます。まさか、和光に限って、学校側自らが独裁的な行動を強行するとは信じたくありませんが、今の状況ではそうなりつつあります。そのような「大人気ない」行動だけは絶対にやめてください。和光では、私たち学生が学校の主役であり、そして学校という一つの組織、社会が成り立つためには絶対不可欠の「一構成員」であることを忘れないでください。
 貴方の誠実な対応を期待します。
                        2002/12/12かまど有志


  代表 志賀 直輝  otokonaki@ezweb.ne.jp

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武蔵野美術大学の生徒 会期案内を希望 2002年10月29日(火)12時49分32秒

『武蔵野美術大学芸術祭映像部展示
を身に来てくれた方へ』

 和光大学の映像関係のサークルを営んでいる学生が、近日催された武蔵野美術大学芸術祭を訪ねてきました。というか興味で本人の身分を尋ねたところ、和光大学の生徒で映像関係のサークルを運営していると名のっていました。

 ところでこの和光大生と思われる人に、近々和光大学で開催される大学祭に来ないかと誘われました。が、いまいち開催期間が分からない点と、当人が和光大の生徒であるという公の確認がとれない為に、自分のスケジュールとの兼ね合いを考えている最中であります。

 どなたか心当たりのある人がおりましたら、この掲示版に返信を下さい。またそちらの大学祭の会期についてどなたか教えていただけると幸いであります。

               2002,10,29

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小林永 インターネットと大学 2002年07月05日(金)10時59分38秒

かまど撤去に関する情報ありがとう。ちょうど、先日、松井不二夫くんともあっていたところで、和光大学についてもう一度考え直す、「時」だったのだろうとも思う。東が16年すんだ大学から出て行ったということ、かまど撤去、「時は流れた〜♪」って感じではあるけれど、問題は、学校法人和光大学の問題をこえて、こうまで僕たちをこだわらせる、「小さな実験大学」というか「大学」という理念空間の問題だろうと思う。ちょうど、僕は、インターネットを通じた神秘主義的ネットワークを「みえない大学」という理念で一つの方向性にまとめようと考えたり、占星術などのまず、経済的に日本では翻訳出版されることがない専門書の翻訳をなんとか、WEBにアップできないかと模索から、MLの中なら「個人利用」ということにされるので、知的所有権を相対化できるということから、秘教的翻訳MLというべき、アカシックライブラリーMLというのを始めようとしていたところです。そのあたりからの模索で、「図書館」という理念が本来のインターネットのあり方であり、あらゆる情報はみんなのものというインターネットの自然法と、インターネット以前の資本主義社会の知的財産権との完成を考え直していたところでした。で、再び、「大学」という問題に回帰してきたということでしょう。理念と現実の緊張関係が、現実社会では理念が弱者で、現実が権力を持っているけれど、大学の場合、唯一理念が権力というかアドバンテージをもてる場であるわけですよね。でも、社会という現実に対する奉仕期間としての大学ということになると、学費ととって教育というすでにして、教育の理念である無償という前提が崩れていたり。

まあ、このあたりやり出すと切りがないのだけれど、僕が思うに、一粒の芥子種が地におちて死ぬことにより、千粒の芥子種が生まれるというがあると思う。つまり、「小さな実験大学」という理念を60年代の現実ではなくて、2000年代の現実において移植するとすると和光大学、鶴川というローカルとは別の方法とテーマがあるのではないかと思うわけです。

今の僕にとっては和光大学は役目を終えた苗代のようなものでしかないのだけれど、それでも、現役の学生や教職員にとっては生きる場でもあるわけで、その意味ではかまどの問題もある人々にとっては切実だとは思う。でも、おそらく、大学当局はぶっ壊すだろうよね。

そこからの始まりが大事なのではないかと思う。学外の僕らにはホーチミンでピケをはる事もできないし、それをしても95の2.5事件と同様の目でしか現役学生は認識しないだろうし。

和光大学で育てた種を別な畑で育てるということが大事なのではないかな。同窓会というのではなくて、なれ合いとか、しがらみとかそういう泥は一度洗い流して、和光という苗代で育てたエッセンスをもって、大学の外と関わるということが僕には今大切だと思う。

新しい実験大学を作りたいという思いが僕にはあるのだけれど、そのプロジェクトに和光大学の経験をノスタリジアではなくて生かしたいと僕は思っている。そして、インターネット上での組織論とサークル連合の組織論はかなり親和性が高いようにも感じられたりもするのだけれど、ヘゲモニー的に組織を作らないとすると、必然的に、サー連的形態の組織しかないのではないかと思ったり。

オリンピックの聖火ではないけれど、和光の竈の火をどこか別の場所に移す、あるいは各自が持ち帰るという「儀式」をするなら僕も参加したいと思う。現実の竈をどうするかは、現在の学生たちに任せるしかないのだから、いくら聴講生とか専攻課とかに籍をおいても、在学生にとって僕たちは、オールドボーイであることに代わりがないし、あれこれいわれたら、僕たちがイシモダをみるのと同じ感情を持つことは分かり切っているもの。しかし、いやがれてもたまには押さえておく必要な確かにあるし、僕もブタとか、あるいはカイゾクさんなどから学んだことも馬鹿でかかった。とはいえ、あの馬鹿でかさが僕たちにはちょっとたりないかもしれないけれど。

まあ、与太話か提言かはこれからのこととして、ではまた。おじゃまします。

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松永洋介 和光大学の建学の理念と進むべき道について 2002年07月04日(木)22時47分16秒

さっき投稿した「ホーチミン広場のかまどの撤去反対について」で言及されている、和光の初代学長がのべた理念については、下記サイトもご参照ください。

梅根悟『小さな実験大学』(http://www.ceres.dti.ne.jp/~ysk/wako/zikken/)

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松永洋介 「かまど」は和光の文化だ。撤去勧告になんかしたがうな! 2002年07月04日(木)22時34分28秒

きょう大学へ行ったら、無記名の長文のビラのほかに、こんなビラが張ってありました。
ここに無断転載します。

「かまど」は和光の文化だ。
撤去勧告になんかしたがうな!


和光大学の「ホーチミン広場」(生協入り口横の広場の名称)には「かまど」がある。
少なくとも二○年以上、この「かまど」でいろんな人々――学生、教職員、その他――が食べたり、飲んだりしてきたの。
老朽化している「かまど」は今、教員有志のカンパや学生たちの努力でリニユーアル中。これからも「かまど」から出発する文化を広め、深めていけるといいよね。

でも、「建設委員会」および「学生生活課」に属する教員や職員の一部は、この「かまど」をこの夏には撤去するので作り直しても無駄だよ、って一方的に言ってきた。
そんなの聞いてないなあ。和光大学って自由で民主的なところを売りにしているくせに、ときどきこういうわかんないことが起こるんだよね。

「かまど」を撤去するなんて決定は、誰がいつどこで決めたの?

「民主的」に話し含って決めたわけじゃないのに、どうして「建設委員会」は
「かまど」の撤去を学生や他の教員の言い分も聞かずに決めたの?

「建設委員会」ってずいぶん非民主的だよねえ。

ホーチミン広場の「かまど」は和光大学の大事な文化の一つだ。食文化を通して、異文化や地域に向かうメディアでもあるだろう。

これは和光大学の「売り」、大事なセールスポイントにもなるんだから、「かまど」
を残す方策をみんなで考えよう。立場や考えが違っても、手はあるはずさ。

「建設委員会」(特に委員長)は、一方的で非民主的な手続きにもとづく「かまど撤去」方針を撤回した方が、ずっと和光らしくていいと思うぞ!

火を前にする夢想、そのしあわせを意識する快い夢想とは、もっとも自然に集中された夢想なのである」
火の精神分析』、ガストン・バシュラール、前田耕作訳、せりか書房刊

「つかの間の暴力が去った後の平和の中に、相互に何の関係ももたないままに、笑いさんざめく小管理者の群をみいだし、そこに管理の論理がぞっとする程に貫徹している世界を、人は感じることがないのだろうか」
翔べない身体――身体性の社会学』、三橋修・著、三省堂刊

2 , July 2002  Toshiya the Tribal. (80H)

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松永洋介 ホーチミン広場のかまどの撤去反対について 2002年07月04日(木)22時22分48秒

きょう大学へ行ったらこんな長文のビラが張ってありました。
ここに無断転載します。
有志の手で再建中のかまどの前ではアフガニスタン料理の夕べ。


ホーチミン広場のかまどの撤去反対について


 ホーチミン広場のかまどは和光大学初期の和光生によって自らの意思によって自らの手で作られたものである。以来かまどにどこからともなく人が集うようになり、学部、学科、学年、学生と教師、という枠を越えて共に火を焚き、共に飯を作り、輪になって語りあってきた和光の「象徴」言うべく大変熱く、また学生にとっても教員にとっても大切な場所である。
学生も学科以外の新しい人間関係を広め、深めるために必要不可欠な場所であり、現に我々在学生、卒業生もそうして様々な人間関係をかまどから得、それが社会に出て授業で学んだ事よりも実践的に役に立ち、何年経った後でも、むしろ年数が経てば経つほど大変貴重な時間と経験であった事、自分の中の素晴らしい財産になっている事は、石原静子先生が書かれた和光卒業生のその後を追った社会的検証の本でも明白であり、和光大学にとっては元来実験大学としての素晴らしい「成果」であると胸を張って言えることであるはずである。
 又、これらの理念はすべて梅根学長の建学の精神に純粋に準じるものであり、既成のものではなく学生自身が考え作り上げていく、というまさに和光らしい「文化」の現れである。開学当初の芸術学科の設備等に関しても「和光開学前に着任予定メンバーたちで芸大はじめいくつもの同領域の大学を視察して回り、その結果既成のちゃんとした設備を敢えて作らずに1期生を迎えよう」という積極的合意があったことも事実であり、これはつまり学生独自で必要なものを考え作り上げるという過程を奨励し、この結果D棟裏の彫刻室や学生寮前の陶芸室が今も形を残し、36年経った今でも受け継がれ貴重なアトリエとして使われているのである。
ましてホーチミン広場のかまどは、彫刻室や陶芸室のように特定の学科の学生しか使えない場ではなく、すべての枠を越えてただ「和光生」という共通性だけで絆が結べるという、しかもそれか和光坂を登り校舎のメインストリートにあるという他の大学ではまずあり得ない素晴らしい空間である。
かまどでは前述のように火を焚き、飯を作り、もちろん共にその飯を食べたが、「食事は団欒のシンボルであり、共飲共食によって親密度や一体感が増すことを人々は実感する。折にふれての会食が意味するのは、同じ食物を口にした相互が、同一の食物をそれぞれの体内に咀嚼し分有したという一体感もしくは連帯感である。それはまさしく、“同じ釜の飯を食った仲間”を象徴する。」(『禁忌と秘匿の構造』鈴木剄介)とあるように、昨今社会的にも人間関係が希薄になり問題化している中で、かまどの様に内外聞わず共飲共食できる場はそういう意味でも非常に貴重な場であり、まして人間関係学部なるものが存在する和光大学が人間関係を培う場を自らの手で破壊するというのは矛盾も甚だしく、梅根学長の理念からは全くかけ離れた行動であり決して許されない行為であることは、上述の様に論証できるものである。

 かまどでなくても同じよう場を作ればいいという案もある様だが、それは「かまど」の意味を全く理解していない証拠である。新たに建てようとしている建築物がどのようなものか具体性もないのでそれに対して安易に言及はできないが、異文化交流室が畳部屋から机と椅子の部屋に変わったことによって目に見えない何かか失われ、何かしらのあまり嬉しくない変化を感じている教員もいる様に、かまども同じ状態に陥る可能性は存分にあると考えられる。というよりも我々学生にとって、又かまどで共飲共食した教員にとっても、若しこれから先どんな立派な機能性に富んだ建物ができても、現存するかまどは「かまど」であり、これに勝るものは何一つないと言い切れる「存在」なのである。従って、精神的局面においてかまどより勝る建物を建てられることはあり得ない。「かまど」だからこそ、そこに火があるからこそ人が集うのである。

 学生運動が盛んだった時期にも当然ながら和光大学でも学生側と学校側との対立があったが、当時は梅根学長の理念に基づき、学長室が占拠された時でさえ、又何十人規模の機動隊が和光坂の下で学内突入を待っていた時でさえも学長はじめ学科長は、学生側と学校側の「話し合い」を粗末にすることなく行い、その結果全国で唯一「機動隊を入れなかった和光大学」になったことも見逃せない事実であり、既に退職された浦本先生もこの事が自分の一番の自慢だと熱く語っておられた。
しかし現在学校側は、かまどを撤去する、しかも「夏休み中」にと言ってきている。これは全くもって、梅根学長の理念とはかけ離れた見解である。
如何なる時も「話し合い」をもって解決に至る道を探ろう、というのが梅根学長の理念であり同時にこれも他の大学ではあり得ない和光特有の文化でもあるのに、何の話し合いもしないままただ一方的に、さらに「夏休み中」というほとんどの学生が登校していない期間に取り壊すという非常に陰険なやり方で強行しようとしている学校側は、本来の和光の建学の精神に真っ向から背く行為であり、当然学生主体の和光を目指して入ってきた学生にとって許されざる行為である。
現在建設中の新エレベーター棟についてもそうだが、この工事の決定の有無、それ以前にこの建物を建てるかどうかという段階での我々学生への一切の相談や話し合いもなしに事が進んでいるということ自体、和光ではあり得ないはずである。本来ならば建設費用、何の目的で具体的にどのような人々にどのような効果があってその建物が必要なのか、という事全てを学生側と話し合った上で結論が出なければならないのに、一方的に学校側が決めた事を、しかも最小限の情報をただ公表している。これでは他の管理型大学と全く変わりはないし、和光の文化ではない。かまど撤去についても同じ様に一方的で、まるで学校側が意図的に和光から学生を排除しようとしているかの様である。
学生側から声が上がらなければ、学校側の独裁管理が認められるのか?
それならば学生と父兄にそれを明言し、「学生主体」の看板は早急に取り下げて頂きたい。

 我々は和光大学が全国でも稀に見る「学生主体」の大学であることに魅力を感じ、学生の自由、それだけでなく学校側が学生側の意見もきちんと取り入れ学生自身が学校を作っていける大学であることを目指して、むしろそれが条件となって入った者がほとんどであるし、学校紹介のパンフレットや雑誌等にもそのようにアピールされていた。しかしこれが事実と違うという事になれば我々も黙認するわけにはいかず、学校側の掲げている理念と実際に行われている事が甚だしく違うこと、梅根学長の建学の精神は崩壊し、今ある和光大学は本来あるべく和光大学とは全く違うものになってしまった事をインターネット等で世間に公表せざるを得ない。

 学校側としても時代を考え新しい動きがある様だが、本来の和光大学、梅根学長の理念を改めて考え直し、初心に返ってもう一度人間的に考え直して頂きたい。

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松永洋介 6月8日(土)公開シンポジウム「戦争から平和へ ―アジア諸地域の紛争と日本の役割」 2002年06月01日(土)13時10分28秒

和光大学公開シンポジウム「戦争から平和へ ―アジア諸地域の紛争と日本の役割」
⇒http://www.wako.ac.jp/souken/meetings02/02srilanka01.html

日時:6月8日(土)13:30〜17:30
場所:和光大学J301教室
料金:無料
予約:不要

主催:和光大学人間関係学部人間関係学科/スリランカ研究フォーラム(和光大学総合文化研究所)
連絡先:学部事務室 044−989−7497/総合文化研究所 044−989−7478

以下総合文化研究所の告知ページより引用
 和光大学人間関係学部人間関係学科では、日本とアジア諸地域とのかかわりや民族関係に関心を寄せてまいりました。毎年の公開シンポジウムでは、現在的なさまざまな問題を取り上げ、教職員、学生、市民の間の交流の機会としてきました。今回は、和光大学総合文化研究所のプロジェクト、スリランカ研究フォーラムとの共催で、わたしたちの日常生活に露呈しつつある戦争と平和の問題を取り上げます。
 2001年9月に生じたイスラーム急進派によるアメリカへの攻撃と、その後のアメリカによる対「テロ」軍事行動は、世界中を震撼させています。 わたしたち日本に暮らす者も、一見、はるか彼方の地域紛争のように思える問題が、グローバルな背景をもち、日本もすでに深く関与していることを認識せざるを得ません。 とりわけアジア諸地域の紛争においては、ODA等を通してかかわってきた日本の責任と役割は少なくないというべきでしょう。すでに自衛隊の艦船がインド洋にくり出し、有事法制が準備されている一方で、アフガン復興に対して日本は大きな支援を期待されています。
 こうしたなかで多くの人々が戸惑いや不安を抱いています。まずは、アジア諸地域の民族関係の現場に精通しておられる研究者の方々からご報告いただき、紛争の要因と現状、日本のかかわりについて理解を深めます。そのうえで、老いも若きもいろいろな立場の者たちが、日頃感じている疑問を出し合いながら、和平と共生に向けての政府レベル・民間レベルでの日本の役割について考えてみたいと思います。
 多くのみなさまの参加を期待しております。

【プログラム】
▼スリランカの内戦と平和
 ジャヤデーワ・ウヤンゴダ(コロンボ大学文学部教授)
 コメント:シャーンタシーラン・カディルガーマル(スリランカ生涯学習センター代表)

▼アフガニスタンの失敗に学ぶ 
 田中浩一郎(国際開発センター主任研究員)
 コメント:松枝 到(和光大学表現学部教授)

〈休憩〉

▼国家が生み出した民族紛争 フィリピンの「モロ族」の苦悩
 ロバート・リケット(和光大学人間関係学部教授)
 コメント:アガリン・サラ(日本・フィリピン家族支援センター)

▼ディスカション 
 [司会] 澁谷 利雄(和光大学人間関係学部教授)
 スワン・ワジラチャリヤ(秀明大学国際関係研究所研究員)

〈交流会〉会議室A、B(図書館棟2階)

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松永洋介 6月7日(金)表現文化学科講演会・久田恵「フリーライターという仕事」 2002年06月01日(土)04時18分05秒

表現文化学科 連続レクチャー第二回
「フリーライターという仕事」

日時:6月7日(金)午後3時〜
場所:和光大学B203教室

講演者:久田恵
1947年、北海道室蘭市生まれ。上智大学文学部社会学科中退。
1990年、『フィリッピーナを愛した男たち』で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『母親が仕事をもつとき 子育て・職場・夫にどう向きあうか』『サーカス村裏通り』『ニッポン貧困最前線 ケースワーカーと呼ばれる人々』『愛はストレス』『欲望する女たち 女性誌最前線を行く』など。

以上、チラシより転載(誤字修整等は松永による)

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あづき 和光大学祭よびかけ。 2002年04月27日(土)01時05分48秒

The Tobonの管理人あづきです。

第3回呼びかけ会議は5月10日 18:30〜 D306小講堂で行われます。
第一回会議では、基調文の時間で終わり、10時に会議終了が提起され終了しました。
今日の第2回会議では人が集まらず、基調文、システム案、会議方式案、などの説明にとどまりました。

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松永洋介 次回会議は明日(26日) 2002年04月25日(木)18時40分37秒

きょう大学へ行ったら、今年の学祭の第2回会議の告知が出ていました。
26日の金曜日、午後6時半から、小講堂(D−306)。

ところでしかし、前回の会議がどういうものだったかの告知はありませんでした。
昼休みの時間に学祭機構室へ行ってみたのですが、だれもいませんでした。
サー連事務局も無人だったので、前回の会議の内容はわかりませんでした。

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松永洋介 4月23日(火)、02学祭呼びかけ会議 2002年04月18日(木)20時13分16秒

きょう大学へ行ったら、サー連掲示板に、今年の学祭の呼びかけ会議の告知が出ていました。
23日の火曜日、午後6時半から。(時刻はウソかも。6時かも)

やる気あるなあ。

できれば見物に行きたいけど、ちょうど旅行中で東京を離れていて、見られないのだ。残念。

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