山下洋輔会長コメント:旧奈良監獄・奈良少年刑務所を重要文化財とする文化審議会答申について 2016年10月21日

▼奈良少年刑務所を宝に思う会・山下洋輔会長コメント(2016/10/21)

「旧奈良監獄」現在の「奈良少年刑務所」が重要文化財に指定されるという知らせに喜びと驚きを禁じ得ない。鹿児島、長崎、金沢、千葉と共に「明治の五大監獄」として建設されたこの建物は、実は私の祖父啓次郎が設計したものだ。奈良以外のものは全て、移転、破壊、一部保存、内部改修がされていて、当時のままの姿はここにしか残っていない。同じ運命をたどるのだろうとなかば諦めていたが、今回は思わぬ大逆転全貌保存本塁打となった。
 その原動力は「奈良少年刑務所を宝に思う会」だ。これを早い時期に立ち上げてくださり、設計者の孫の私を会長にすえて下さった作家の寮美千子さんとご賛同された方々に心から御礼申し上げたい。寮さんは9年にわたって少年刑務所の「社会性涵養プログラム」教育にあたられてきた。その間に少年達の書いた詩も編集して『空が青いから白をえらんだのです』『世界はもっと美しくなる』として出版もされた。保存運動に大きな影響を及ぼしたことはまちがいない。また地元の皆様方から「保存要望書」が出されたとも聞く。異例のことだ。こういう施設は皆他所に行って欲しいと思うものなのに。奈良の人々の懐の深い大和心の所以だろうか。
 最後に私も初めて知ったエピソードを書く。ジャズ仲間のアルトサックス奏者・津上研太はチャーリーというミドルネームを持つ男だがこの男のおじいさんが、若林忠志という野球の名投手だった。ハワイ生まれでヘンリーと呼ばれ、やがて出来たばかりの阪神タイガース(当時は「大阪タイガース」)に入って大スターになった。この人が奈良少年刑務所を慰問しているのだ。昭和24年12月14日の日付けで、「奈良収容者自治会代表」による長い礼状が署名入りで残っている。『若林忠志が見た夢』(内田雅也著/彩流社)の中に「いただきました優勝楯は永く当所に残して」という一文がある。まだあるのだろうか。(注)
 これも含めて数々の更生プログラムの記憶が残るこの場所の108年の歴史も、是非とも保存事業でそのまま残して欲しい。正確な資料を残す「博物館」の実現を心から望みたい。
 今まではどこかおおっぴらに「これはぼくのおじいちゃんが造ったものなんだよ」と言えなかった明治の五大監獄が、こういう扱いになったことで、これからは「あの重要文化財は、おれの祖父が造ったんだよ」と言える心境の変化に、恥ずかしながら気づいている次第だ。
山下洋輔

注:若林忠志が贈った優勝盾は現存し、2016年も「若林杯」のソフトボール大会が開かれた。内田雅也:刑務所閉鎖後も引き継がれる「若林杯」の精神(スポニチアネックス 2016年9月6日)

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