全学的なサークルの連合体である“サー連”が発足してから今年で25年目を迎えます。では、サークル連合が結成された理由は一体何だったのでしょうか。“サー連”以前の歴史を振りかえってみましょう。
1960年代、暫定自治会という全員加盟制の自治会がありました。しかし、それは執行部を握った一部の政治党派(日本共産党=日本民主青年同盟)の引き回しによって崩壊してゆきます。
さらに、日常的なサークル介入などにより、構成員の信頼を裏切ってきたため、学生大会において執行部への自己批判要求が決議されます。学生無視の組織運営に不信感はつのるばかりです。(※当時の学生は“組織の運営”などといった問題について、積極的に不信感を抱いたりするほどに関心を持っていたのです。)
69年の2月に、暫定自治会執行部のやり方に不満を抱く学生たちがサークル共闘を組織します。一連の経緯をふまえ、新しいサークルの連合体を作るために、サークル協議会とサークル共闘は、「全学サークル連合」を作ってゆきました。
“サー連”は、民主主義の名を借りた代行主義を克服し、集団間討論の場を保障することによって相互止揚と正統的な民主的な全体化を獲得できる組織としてスタートしたのです。(もちろん、特定セクトに傾倒しないことは大前提です。)
こうして、66年4月〜69年の間存在した暫定自治会は消滅し、“サー連”が学生を代表する自治組織として生まれました。
組織が機能してゆく段階において様々な組織論が展開されますが、サークル連合は過去の反省から真に開かれた組織を目指し、そのための方向性を模索してゆきました。その結果、和光大学独自の運営方法となったのです。
“サー連”のすべての会議は、徹底した継続的討論の保障の下に、多数決によらない「全会一致」の決定方式をとっています。多数決制を選択した場合、少数意見は排除されてしまうため、それを防ぐ目的での「徹底討論」であり「全会一致」というわけです。
そして、その決定の執行については、なんらかの罰則(処分権)や物理的拘束力を持つものではなく、当事者の主体性・自主性に基づいて執行されます。つまり、自分で決定したことは自分で行い、外的強制力は働かないということです。
また、各会議でのサークルの代表者は、特定の人物に限る必要はなく、複数、あるいはサークル構成員全員が参加してもかまいません。各自が自己の発言や行為に責任を持って出席することが重要で、それによって決定は、常に合意に基づく「全会一致」で行われているのです。
(⇒自己の発言に責任の持てない人は、その自発性についての自己矛盾を批判される権利を持ち、自己を変革してゆかねばなりません。)
全学サークル連合において1サークル以上の要求があれば、総会/委員会会議/利用者会議を、それぞれの議長/委員長の承認を経て開催することができます。未加盟団体や大学当局などを含むものであれば、その事情に応じて事務局が主催者や仲介者となって討論の場をつくってゆきます。
以上のような会議・討論・決定方式を採っているために“サー連”は執行部を必要とせず、執行部は存在しません。全ての構成員が統制と監督をするなかで、全ての構成員によって決定され、それが自発性に基づいて執行されるからです。
全学サークル連合は、各サークル/構成員の自発性・能動性によって代行主義を否定し、克服してきました。そうした、サークルの自主性・自立性を保障するためには、サークルがサークル自身によって支えられていなければなりません。
かつて、自治会費を大学が学生から代理徴収し、大学や自治会執行部の裁量で個別サークルとのボス交によってそれを分配していたことがありました。こうしたなかでは、自治会執行部や大学当局によるサークル活動に対する統制やコントロールを容易にさせ、自治会執行部や大学当局の御用サークルが生まれてしまいます。
そうしたことの反省と克服として、独立採算制に基づき、サークル活動と全体の運営費、物品についてのみ要求していくという原則が出来上りました。
明確な活動目的と恒常的活動さえもてれば、一人でもサークルは作れます。しかし、サークル連合に新規加盟するにあたっては、同一目的・同一内容のサークルが存在していないことが第一条件となります。なぜならば、サークルが共通の目的のもとに不断の集団形成をはかり、常に開かれた存在である以上、同一サークルの存在の必然性はないからです。
また、「未加盟団体」も存在します。この未加盟団体というのは、充分な方向性が定まらなかったり、全学サークル連合で言うところのサークルとしての組織構成を持たない団体のことです。
全学サークル連合はサークル運動のための団体であり、その目的はサークル運動と文化運動の推進です。そのため、サークル連合は排除の論理を持たず、加盟団体はもちろんのこと、未加盟も含めた、あらゆる団体および個人に開かれており、共通の目的のためにその便宜をはかっています。
過去何度か、日本民主青年同盟から、過去の暫定自治会の総括をふまえない「自治会再建」のアピールがなされています。そのアピールの中において、しばしば「クラス」を基礎とした自治会建設案が出されています。学生自治が大学自治の補完物、教育の一環としての自治として位置づけられるならば、その基礎単位は、大学が学生を機械的に配分したクラスとなるでしょう。しかし、クラスは教育秩序形成のための一方的な学生の振り分けでしかなく、それは学生の自主的・自立的な集団形成による自治というものの反対に位置します。自治とは、個々人の自発性によって組織されるべきものではないでしょうか。十分な自発性のないところに自治などありえないのではないでしょうか。
“サー連”は、過去の暫定自治会の批判的総括の中から生まれる、そしてまた構成員の自発性から生まれる、真に自立した活動を営む自治組織建設までの過渡的組織です。「全学サークル連合」の存在は、そうした自治組織建設に向けた運動であるともいえるでしょう。
1995/3
松永洋介 ysk@ceres.dti.ne.jp