小袖餅の由来

2019年6月10日

▼1999年3月6日

永正十四年の或日宇土城主名和伯耆左衛門尉は民情を見んものと独り忍びで城下を歩かれ、とある町端れの茶店に這入り心ゆくばかり餅を味われました。城主のお顔を知らない茶店の娘静江はさっさっと出て行かれる城主に「お餅代を戴きます」と申しました。城主はお金が無いのに気付、ほとほと困られ遂に小袖を切って「是を持って城内に来い。さすれば餅代をとらす」と言って立ち去られました。小袖の紋で城主であることを知った娘静江は自分の無礼の罰が母に及ぶ事を恐れ、其夜城内に忍び込み母を救けて私独り成敗して下さいと嘆願いたしました。城主は静江の孝心に感激せられ、小袖と沢山のお金を下し置れました。それから静江の孝心と餅の美味を賞へて誰言ふとなく「小袖餅」と名付けられ次の様な俗謡さえ流行しました。“餅は餅でも小袖の餅は、可愛い静江の味がする”。

小袖餅本舗 主人 敬白 

●本店 熊本県宇土市駅通り(〇九六四)二二−〇二四六
●支店 熊本県宇土市国道三号線筋(〇九六四)二二−〇二四六
●売店 熊本県宇土市駅前旭屋商店
●売店 宇土駅内 轟うどん店
●熊本店 熊本センタープラザ地下土産品センター(〇九六)三五四−六四四〇

肥後 宇土名物 小袖餅
熊本県宇土市城之浦町10番地
合名会社 小袖餅本舗
TEL (0964)(22)0246

 誰にもらったんだか忘れてしまいましたが、土産物のお菓子の能書きです。宇土は「うと」と読みます。
 永正十四年は西暦1517年。当時の宇土城と城下の関係ってこんなんだったのかなあ。時代認識が混乱してるのではないか。それとも宇土には中世から“城下町”があったのかな。茶店の娘にいきなり忍び込まれる城というのも大変だけど。


▼2019年6月10日追記

『日本歴史地名大系』によると、近世宇土城は「天正一六年(一五八八)閏五月、秀吉より宇土・益城・八代三郡二四万石を安堵された小西行長が六月に入部し、宇土に本拠を置き、翌一七年に名和氏の宇土古城は狭小であったため築城に着手した」と。それ以前、鎌倉末から「宇土古城」があり、宇土氏、名和氏らがいたが、いずれにせよ「小袖餅の由来」にある話とは整合しない。

このたび熊本空港で入手した「小袖餅」のラベル(長辺11.1cm)。日持ちはしないが、味はよい。
小袖餅ラベル表

小袖餅ラベル裏

松永洋介 mtng_ysk@nifty.com