私は和光大学で三コマの授業を持っている。「へえ、学長をしていて三コマも講義を持っているんですか」と、驚いたような顔をする人がある。「学長が授業をもってはいかんのか」というと、「いかんことはないだろうが、たいていの学長は講義なんかしていないんでしょ」とおっしゃる。そう言われてみるとそうかも知れない。昔の学長というものは、教授陣のなかから、選挙されて、首席教授、つまりPresident――平等の教授仲間から選ばれて、一ばん前(Pre)に座っている人(sident)というわけだったんだから、教授が本職であり、従って授業を持つのが当り前だったはずだが、今の学長はたとえ選挙でえらばれても、学長になったとたんに、特別職である学長としての専任になってしまうのだから、つまり教授ではなくなってしまうのだから、授業は持たないのが立て前かも知れない。私はやはりそのような特別職制度というものはよくないと思っている。だが、そうしないと今では大学そのものが認可されないことになっている。だから私は和光大学ができ、学長をやれと言われたとき教授を兼任させるなら引きうけようと言い、じゃあというので学長兼教授ということにしてもらったのである。だから私には兼任教授として授業をする権利と義務があるというわけである。
そんな次第で開学以来三つの授業を持ってきている。一つは一〜二年次向きの一般教育の教育学、一つは人間関係学科の専門科目で、主として二年次生向けの、教育史の講義、それから三つ目は同じ人間関係学科の後期ゼミでこれも教育史、以上三つである。私のつもりでは、一般教育の私の教育学の講義を受講した者が、二年次生向けの私の教育史を受講してくれることを希望しているし、この教育史を受講した者のうちの何人かが、後期ゼミの梅根ゼミに入ってきて、二年間そのゼミナリステンの仲間になる、つまりこうして、梅根ゼミで私とつき合うことになる何人かの学生は入学した時から四年間ずっと私とつき合うことになる――そんなふうに私は考えているのである。しかし実際は私の一般教育を受講しなかった者も二年次向けの教育史の講義をうけているし、それを拒むわけではない、また後期ゼミにもたまには一〜二年次で私の講義をきいていない者も、参加しているから、上にのべたことは私の一般的な「つもり」にすぎない。
さて、一般教育の「教育学」では年度によって、講義題目はあれこれちがってきているがやはり教育史的な講義である。今年は、中教審答申や私自身が会長をしている日教組の教育制度委員会の報告を学生自身に読んでもらい、それを理解し、批判してもらって、その上でのちにのべるようなリポートを書いてもらうために、その予備知識として、明治以来の日本の教育制度、教育内容の歴史について話をしている。講義は学生が自分でさきにあげた答申や報告をよみ、また自分でえらんだリポートを書くための予備知識であって、そこで講義した内容を試験して点をつけるというものではない。
リポートは昨年までは九月末に第一リポート、一月末に第二リポートと二回出させたのだが、今年はリポートは一つ、但し九月末にそのための中間リポートを出させて、それを見て、若干のアドヴァイスを私がする。それを参考にして一月末に最終リポートを提出するということにした。
リポートについて私は新学年が始まってなるべく早い時期にいくつかのリポート課題を出すことにしている。学生はゆっくり考えて、そのうちのどれか一つを選んで、夏休みからリポート制作にとりかかるというようにアドヴァイスしている。今年のリポート課題は「次の三つのテーマのどれか一つを選び、その選んだテーマについて、各自の居住地域の学校で、どんなことが行なわれたか、調査して報告する。もちろん調査結果について所見をそえる」といったものであり、三つのテーマとは(1)明治一九年の森文相による学制改革はそれぞれの地方、学校でどのようにうけとめられ、実施されたか、(2)大正デモクラシー期の教育改革運動の、それぞれの地域、先進的な学校での実施、(3)戦後改革は、地域、学校でどのように行なわれたか、である。郷里の学校を訪問して資料をさがし、リポーターとして活動した人たちをさがし出して、聞きとりをするなど、足をつかい自分の眼と耳でデータをとり、今まで出版された本などには書いてない、なまの事実をほり出すことがねらい、というわけである。私は何県の何という町の出身ですが、何か手がかりはありませんか、などと尋ねに来る学生が多いが、私はなるべく何も教えないことにしている。大正期をやるなら、中野教授の本「大正自由教育の研究」をまず読んでみて、それから、夏休みになったら、そのへんの老先生に会ってみるんだね、ぐらいのことしか言わない。それで、九月の中間リポートは、これをしらべることにした。大体この辺に資料がありそうだという見当だけの報告でもよいということにしている。どんなリポートが出てくるか楽しみである。高校生の時代にはこんな自主的なフィールドワークなんかやったことがないと見えて、一年次生もなかなか張り切ってやる気を起しているようである。
受講学生の数は一五〇名内外だから、一つ一つリポートを読んで批評を書いてやるのは、なかなかしんどいが、しかしまた楽しいしごとでもある。
次は主として人間関係学科向け、二年次生向けの教育史であるが、これはここしばらく毎年「原典教育学」(村山貞雄等編)をテキストに使っている。この本にはギリシアのプラトーン、アリストテレースから始まって、現代に至るまでの二十数名の教育思想家の著作のエッセンスと思われるものが抜すいされているので、そのうちのいくつかをとり上げて、その人物についての解説、テキストの講読、若干の質疑・討論といった風の、原典講読的なやや平凡な授業になっている。これは教育思想史の講義をゼミ方式でやっているといった形のもので、ほんの僅かずつでも原典をのそいてみて、それに感動を覚えるだけでも、いいだろうと思っている。評価はリポートと毎日の授業での学習状況によって行なっているが、リポートはこのテキストに出ている人物のうちの一人を選んで、その伝記、思想、著作、日本で刊行された訳書、研究書などをまとめ、かつテキストに出ている著作の全文(邦訳でよい)を熟読し、それについての読後感を書くこと、となっている。受講生の数は多い年で一二、三人、少い年で七〜八人というところで、外国語(英、独、仏)のテキストを替りばんこに読まされるし、予習をして来なければならないので、毎年あまりたくさんは集ってこない。
三つ目は後期ゼミである。これはゼミが始まって以来ずっと、「ペスタロッチ研究」というテーマになっており、毎年ペスタロッチの作品のうちのどれか一つを選んで、学生と一しょに輪読しながら、解説その他あれこれの話あいをするという形でやっている。いわば平凡な、旧式のゼミである。いつか何かの新聞に昨年度のこのゼミのことをちょっと書いたことがあるが、昨年度は原典で僅か一六ページの「隠者の夕春」にたっぷり丸一年をかけて、いわば念入りにやったわけだが、今年は、その一〇倍近くもある「わが祖国の自由について」をとり上げることにしたので、むしろ訳本中心で、必要に応じて原典に当ってみるという仕方でやってみている。聴講者は毎年三〜四名である。学習の手引きに、ドイツ語の初級、中級の評価が共にAであること、というようなことを毎年書いて来たし、もともと母胎である二年次生向けの教育史を受講している一〇人内外の学生だってその大多数は英語でしかテキストが読めない諸君だから、梅根ゼミに入ってくる者は毎年一人か二人である。今年のメンバーは専攻科生一名(これは三年次以来だから今年で三年目である)四年次生二名、それから三年次生一名で計四名、それに今年は人間関係学科の中野光教授が、十何年ぶりかで梅根ゼミに出てみようというので参加されることになったので中野教授を加えて五名、ちょっと賑やかなゼミになった。このゼミには前にも久保いと教授が参加されたことがあり、教育大学の大学院生が非公式に傍聴に来たこともあったりして、ときどきゲストがある。なおこのゼミに三年つづいて参加している専攻科生のT君は全盲の学生で、点字でテキストを読み、また点字や朗読レコードでペスタロッチの原典や訳本をたんねんに読みあさっている。わが梅根ゼミの異彩と言うに価しよう。新しくゼミに入って来た三年次生などは、T君が点字テキストをスラスラと読み、的確に訳してゆくのを見て眼をみはっている。
以上三つの私の授業は、私のつもりでは一貫したもので、いわばピラミッド型、富士山型のつもりである。現実には裾野がうんと広くて、中腹から急に細くなるという現象を呈していて、不正常な形になっているというべきかも知れないけれども。
(昭和四八年「和光大学の新しい試み」)