大阪大学が企てていた「人間科学部」という名の新型学部が、こんど文部省の大学設置審議会の審査をパスして創設されることになったときいて、私は、一方でそれはよかったと思いつつ、一方ではいささか釈然としないものがあった。というのは、実は六年前に私たちの和光大学が創立された際に、私たちは「人間科学科」という新型学科を構想して、その認可を申請したが、その時は、そんな学科のパターンは設置審議会の審査基準である「学部設置基準要項」にはのっていないからだめだと断わられ、結局、審査基準に示されている「人間関係学科」が私たちの構想している「人間科学科」にやや近いものだから、これに切りかえて申請するよりほかはないということになり、今の和光大学の「人間関係学科」が生まれることになった、といういきさつがあるからである。
この二つはいくらか近いには違いないが、しかし原理的にはまったく違ったものであるから、私たちは私たちの当初構想が認められないで、似て非なものを作らざるをえなかったことに不満をいだいていた。既存の審査基準にそんなパターンがないからだめだなどと言わないで、独創的な新学科を作ろうという申請があったら、ちゃんと受けとめて、必要なら新しいパターンを審査基準に追加して、前向きに審査してくれたらよさそうなものだ、そうでなけれぽ、いわば下からの大学改革はできないではないか、そう言いたい思いだった。
それから六年たった今日、阪大に私たちの当初構想に近いものが、しかも、学科でなく学部として誕生するらしいというので、私はそりゃよかったとひとごとならず喜びつつも、一方では、そんならなぜあの時に私たちの当初構想を生かしてくれなかったか、と言いたい気もしたのである。ところが、よくきいてみるとどうもおかしい。私は今度阪大の人間科学部がパスしたのは、設置審が、私たちがその当時そうしてほしかったと思った「人間科学部」「人間科学科」という名の新パターンを、今度はちゃんと基準要項に加え、それに基づいて審査が行なわれたのだと思っていた。ところがそうではなくて、基準要項はそのままで、ただこれまでのように杓子定規に基準によってしばることをしないで、ゆとりのある扱いをしようということになっただけ。それで人間科学部という名の、省令の「大学設置基準」にも、設置審の「学部設置基準要項」にも名前の出ていない学部が生まれただけのことらしいのである。
それはそれなりに結構だが、しかしこうした既存基準による単なるゆとりのある審査などでは、インターファカルティ的な (既存の学部を越えた)完全な新型総合学部など生まれるはずはなかったのである。私は阪大の新学部は和光の当初構想の人間科学科と同じものが、学部規模でできたのだと思っていた。そして喜んでいたのだが、実はそうではなかったのだ。設置審をパスして生まれることになったのは、制度的には和光がやむなくそれに切りかえた「人間関係学科」をただ学部規模に拡大したもの、それに「人間科学部」という虚名をかぶせただけ。つまりそれは、少なくとも制度上では、在来、阪大にあった教育学、心理学、社会学の三学科を文学部から離して、三学科の寄り合い所帯的な独立学部を作ったにすぎないことを知って、私は唖然(あぜん)としたのである。なんだ、そんなことだったのかと、がっかりしたのである。
和光の当初構想だった「人間科学科」は、人間研究を課題とする総合学科であり、人間を総合的に研究するために必要なあらゆる学問分野の専門家をそろえた総合学科であり、人文科学系、社会科学系、自然科学系の三系列を横断して、哲学、倫理学、教育学、心理学、社会学、文化人類学、生物学、生理学、精神医学等々の専門家を結集した、インターファカルティ的な新しい研究者集団を創り出したいと考えたものであった。
これに反して、審査基準にある「人間関係学科」というのは、文学部や社会学部に属するいわゆるB型学科の一つである。B型学科というのは、一つの専門分野だけで一つの学科を設けるにたるだけのスタッフをそろえがたい場合に、いくつかの専門分野の寄り合い所帯で一学科としてもよいというものであり、「人間関係学科」というのは、教育学、心理学、社会学の寄り合い所帯学科なのである。それは便宜的な寄り合い所帯、あるいは棟(むね)割り長屋で、それぞれ独立家屋としての教育学科や心理学科を建てる代りに、三軒長屋を建てさせるといったものである。
従ってそれは、総合学科ではないし、人間科学の総合研究に必要な他の多くの、既存の学部制によれば他学部に属する専門分野が講座として加わることは拒否されていて、人間科学の総合的な研究と教育を行なう組織だなどとは言いがたいものである。
大阪大学の人間科学部がなぜ、言ってみれば、人間科学部の虚名を擁した社会科学系の二、三の学科だけの寄り合い所帯的学部、つまり、「人間関係学部」または教・心・社学部にすぎないものとして設置されることになったのか、そのへんのいきさつは私は知らない。阪大目身が初めからそんなものしか構想していなかったとしたら、いささか阪大らしからぬ不見識なことだと言いたくなるし、もし設置審が阪大の当初構想を、審査基準を楯にとって大きく後退させ、和光の場合と同じような結果になったのだとしたら、設置審に「またか」と文句を言いたいところである。いずれにしても、せっかく国立大学で「人間科学部」という名の学部を作る以上は、真にその名にふさわしい、在来の学部観念を脱却したインターファカルティ的な学部を創造してほしかった。かりに阪大自身にそんな革命的な新学部構想はなかったとしても、どうせ「人間科学部」という名の学部を作らせるなら、思いきってインターファカルティ的なものを作ってみないかとすすめるくらいの意欲的態度を、設置審あたりが持ってもいいのではないか。聞いてみると阪大の関係者諸君は、この新設学部を教・心・社三学科の寄り合い所帯に終わらせないで、総合学部的性格のものに近づけるべく、いろいろの創意工夫をされているようである。そのことに私は敬意を表したい。私たちも、和光の人間関係学科を教・心・社学科に終わらせないで、当初構想に近い総合学科らしいものにするためにあれこれと苦心をしてきた。しかしそれはなかなかむつかしいし、今も未完成である。制度の上で近接的既存三学科の寄り合い所帯とされているものを、インターファカルティ的、インターディスプリナリー的な(専門分野を越えた)学部、学科に育てるのには限界がある。その限界を克服するためには、在来の学部・学科観念を越えた新しい学部・学科の創造を、大学設置審あたりがちゃんとパターンを作って、積極的に、大胆に支持し、推進することが必要である。大学設置審議会の勇断をのぞみたい。
(昭和四七年二月「読売新聞」)