昭和四六年度学長講話

和光は無流大学

はじめに

 最初に私は時間があればいろいろ聞いてみたいんですけれど、そういう時間もございませんが諸君がいったいどういうつもりで大学に入ってきたのかということを一度聞いてみたいんです。いろいろなつもりで入って来られたんだろうと思います。特に和光大学にということではなく、大学に入るということをどのようにお考えになったのかということを聞いてみたいわけですが、在学生の諸君に会って聞いてみますと、いろいろな考え方があるわけですね。高等学校を卒業すると多くの諸君が大学に入る。皆んなが入るからおれも入ってみようかというようなつもりであっさり入ったという諸君もあるかも知れません。

 多くの青年諸君が山に登っておりますが、なぜ山へ登るのかというと、それは山があるからだという答えがあります。諸君も、なぜ大学へ入るのかと言われたら、それは、大学があるからだというように答える人もあるかも知れません。過去に本学に入った諸君の中にはそういう諸君がかなりあります。入ってみたけれど、あまり面白くないというのでさっさとやめていく諸君も中にはおります。その他、聞いてみますと、例えば、僕の家はいわゆる中小企業で、親父が商売をしている。ところで高等学校までは卒業したが、これからどうするという時に、親父さんが、まあおまえは今すぐ家で働いてもらう必要もないからしばらくどこかへ行って遊んでこい。だんだんうちの会社にも大学出の社員が入って来るようになるから、おまえもあとを継ぐのなら大学を出ておいた方がいいだろう。まあ遊ぶのなら大学で遊んでくるのが一番いいだろう。恰好もいいし、格好の遊び場だからまあ行って遊んでこい、というわけで入りました、という青年も中にはおります。諸君の中にもそういう人があるかも知れません。本学の在学生の中にはそういう中小企業を、お父さんか自分でやっていらっしゃるという家庭の人達が比較的多いようですから、そういう諸君もあるだろうと思います。何年間か暇があって遊ぶには、大学というところはまことに恰好のいい遊び場所であるから、まあそこで遊ぼう、というような気持で入ってくる諸君も中にはあるようです。

 ところが中には、やはり今の世の中は、大学をちゃんと出て、それもなるべくいい成績で出ておかないとちゃんとした職場にはつけない、いい会社に入って、だんだん上役になり、きちんとした生活をするためにはどうしてもいい大学に入り、よく勉強をして、いい成績を取り、それから入社試験を受けてパスするということでないと、いい職場にはつけないというわけで大学に入るという諸君も相当数います。これは今の世の中では当然のことかも知れません。そうなりますと、なるべくいい大学がよかろう、なるべく有名な大学がよかろう、一流の大学がよかろう、できれば東大、できれば慶大などに入れば卒業生はみんないいところへ就職できるからそういうところに入ろう、親ごさんの方でもそうして欲しいというわけで、なるべくいい大学を選んで入って、必死に勉強して、いい成績をとり、いい会社に入って行く、こういうような志望を持っている諸君も多数あるだろうと思われます。

 そういう考え方からしますと本学などは一流大学でもありませんし、有名大学でもありませんからあまり適当ではないかも知れません。本学を卒業しても、東大やあるいは慶大の卒業生のようにいわば一流の会社に入ってゆくということはなかなか難しいかも知れません。ですからそういう諸君は本学には入っていないかも知れません。

 和光大学は、いま教務部長がいいましたように、生まれて六年目、満五歳。満五歳と申しますと、学校でいいますと、まだ幼稚園ですね、六歳になって初めて学校に入るわけですからまた幼稚園段階の大学です。もちろん有名でもありません。いろいろなことで多少有名になっておりますが、いわゆる一流大学ではない。「和光は一流じゃない、じゃあ二流か、二流でもなさそうだ、じゃあ三流か」というような話がしばしば出ますが、私は和光は無流大学だと言っております。ある意味では一流だろう、ある意味では三流以下かも知れない、さまざまな意味を持っておりますから、従って含めて言えば、これは無流大学であろうという笑い話をしておりますけれど、今申しました点から言えぱもちろん一流大学ではありません。

 それでも、入れる大学に入って、なるべくならいっしょうけんめい勉強して、少しでもいいところへ就職をしようという諸君があるだろうと思われます。今日の日本の大学はそういう諸君に対してその希望をかなえるという役割を持っておりますから、そういう諸君があることは当然でありますし、それは悪いことではありません。そういう諸君にはここでその志望を達するように努力をしていただくことがよろしかろうと思いますけれど、とにかくそういう諸君がある、これは何パーセントあるかわかりませんがかなりの数を占めているだろうと思われます。ところがこれを例えば卒業型と申しましょうか、はじめの諸君をフラリ型というようにいうならば、こちらの方は卒業型と言ってもいいかも知れませんね、フラリと入ってみたというのが一方にあり、一方にどうしても卒業をして、ちゃんとした職場につきたいという、非常に真面目な、真剣な諸君がいる、ところがこの中間にまたいろいろな諸君がおられるようです。これは過去に本学に入ってきた諸君の中にもそういう諸君がおります。それは、必ずしも卒業をして、そして卒業証書をパスポートにしてどこかいいところへ就職したいというようなことを考えているんではないんだという、諸君ですね、とにかく、自分の今やりたいと思っていることを徹底的にやってみたい、そのために大学という場を使ってゆきたいという、そういう諸君がおります。

好ましい大学生像

 入学試験の時に推薦制では、口答試問をいたします。今年はそういう諸君がいたかどうか、私は話を聞いておりませんけれど、過去にはそういう話を先生方から聞いた例があります。何故、和光大学を受けたかという質問をされますと、実は自分は絵が描きたいんだ、高等学校でずっと自分を指導してくれた美術の先生が、お前は、絵を描こうと思っているなら、それなら和光大学に○○という先生がおられる、あの先生について、うんと仕込んでもらえば、お前は伸びるだろう、と言われた、だから受けに来たんですということを言っている、そういう青年もいるんです。べつに和光大学に入るつもりではないんだ、和光におられる○○先生に教わりたいんだと、こういうことでここを選んだという青年がいる、これも一人や二人ではないようですね。これは最初に申しましたフラリ型とも違いますし、後の卒業型とも違うんです。第三種と言ってよいかも知れませんが、そういう諸君がおります。

 仮にこのようにおおまかに三種類位に分けてみますと、私は実は正直に申上げますと、第三の型というのが一番好きなんです。一番好ましい大学生だと思っています。大学を選ぶということは、一流であるとか二流、三流であるとかいうことではなく、そこに自分が教わってみたいという教師が居る、その教師を選ぶというつもりで、その教師が五流大学に居るのなら五流大学でもよろしい、一流大学に居るのなら一流大学でもよろしい、とにかく自分の学びたい教師を捜して、その教師の居る大学へ入って、その教師について鍛えてもらうという考えで、大学を選び、学科を選んでいる青年というのがあります。よそにもあるでしょう、本学にもあります。これは数は少いんですが、私に言わせますと、そういう諸君が、実は本当の大学生ではないかというように申上げたい。入学する時はそうでなくても、入学してからそうなって欲しい、というのが私の期待であります。大学というところはそういうところなのだと、私は思っております。

卒業証書の意味

 大学の歴史などについては、私自身の講義の中でもまた話をしますが、歴史的に申しましても大学というところはそういうところであります。今の日本では、第二種の、とにかく卒業をして、卒業証書をパスポートに使って、どこかいいところへ就職しようという、そういう諸君が大学生の多くを占めている、ということは、まさに事実でありますが、例えば、世界の大学の中で最も有名で、大学の模範と言われてきたような、イギリスのオックスフォード大学というのがあります。オックスフォード大学というところは、例えば、一五〜一七世紀といった古い時代のことを考えますと、あそこに入った大学生の中で、いわゆる卒業をするということは、諸君の場合もそうですが、学位をとるということなんです。

 学位にはいろいろ段階がありますが、日本では、諸君がいわゆる卒業をする時には、人文学部の諸君は文学士、経済学部の諸君は経済学士という、これは現在日本では学位とは称しておりませんが、称号をもらうことになります。四年たって諸君が卒業をする、卒業するためには条件があり、例えば一二〇何単位という単位をきちんと取得していなければならないとか、そういう条件を充たしますと、証書を出します。本学で卒業証書とはいっておりませんが、証書を出します。その証書は二段になっており、前段は各学部長が氏名○○、本学○○学部において、その課程を修了したという、そういう証明が書いてあります。そのあとに、学長の名前で、○○学部において○○の課程を修了したので、文学士の称号を称することを認める、という証書を出します。つまり、人文学部を卒業すると文学士、経済学部を卒業すると経済学士という称号を与えることになっておりますが、これは古い昔からの大学の一つの慣習なんです。その称号をもらうということがいわゆる卒業ということになるわけですが、イギリスで申しますと、マスターオブアーツという称号が最初の称号です、その上にドクターという称号がありますが、このマスターという称号はだいたい四年位いないともらえない、マスターの称号を貰ってオックスフォードを卒業してゆく青年というのは、オックスフォードに入った青年の中のほんのわずか、五パーセント位しか称号は貰わない、あとは皆んな途中でやめてしまうのです。

 オックスフォードの卒業生がイギリスの国会に、日本流に申しますと国会議員として活躍する時代がきますが、その諸君たちのことを、オクソニアンと申します。オックスフォード出というわけです。オックスフォード出の国会議員と申しますが、オクソニアンというのは、オックスフォードでマスターオブアーツの学位を貰ったということではなく、オックスフォードに何年かいたということなんです。オックスフォードで学生生活を何年かやったという青年をオクソニアンというんです。それだけのことであり、卒業したという意味ではありません。このような歴史を世界の大学は持っている。西ドイツあたりでもだいたいそういう伝統です。大学へ入ったら皆んな卒業をするといったような習慣は大学の歴史にはあまりないのです。これは日本特有の現象ですね。

 現実には、日本の場合には、大学を卒業したという証明書が社会的に非常に意味を持っており、価値を持っているという状況がなお強く残っておりますから、現実の日本の社会の中で生きてゆくためには、その卒業証書を握って働き場所を求めていくという必要があります。だからその必要に応じて、ちゃんと卒業をして、ちゃんと就職をするということを希望する諸君がいることは当然であるし、それでよろしいのですが、しかし、大学というところは卒業証書を出すためにある機関ではなくて、諸君の心の中に燃えている、こういうことを勉強してみたい、こういうことについて少し深く考えてみたい、こういう方面で自分の腕をみがいてみたいというような、そういう青年に最も適当な場を提供するというのが、おそらく、大学というものの持っている本来的な役割だろうと私は考えております。

 入学する時からそういう志望を持っている諸君は大変結構ですが、さきほども申しましたように、入る時はなんの気なしに入った、しばらく恰好のいい遊び場を見つけるつもりで入ってきたという諸君、第一種類の諸君、それから、とにかく卒業さえすればいいんだという諸君、それぞれ事由がありますが、それだけのことに終らせないで、いわゆる第三種の諸君のような考え方を大学の中で諸君が発見する、単に職業人として、サラリーマンとして働くために卒業証書を握ればいいんだということでもなければ、ただフラリと遊びに来たということでもなく、個々で、あるいは大学で何か自分の本当にやりたいことを握って、そして教わりたいと思う先生についてとことん勉強してみるというような気持に、入学してからだんだんなってくれるということを私は期待しているわけです。入学する時は第一種類の気持で入学した諸君も、第二種類の気持で入学した諸君も、そのような自己発見を、大学という湯の中でやっていただきたいということを、私は期待しております。

 もちろん、そういうことをいっしょうけんめいにやっておりますと、だんだん卒業するということの重要性があまりなくなってくるということになるかも知れない。それならそれでいいのです。しかし、やはり現実は現実ですから、どうしても卒業しなければならないという諸君が大部分でしょう。それはそれとして卒業するために必要なきちんとした学習をしてきちんと卒業しなければもちろんなりません。

和光大学とは

 今まで申しましたことは、一般に大学とはどういうものであるかということに係わっての話でありますが、和光大学は生まれてようやく五年たったところですが、多少、一般の大学とは違った、いわば特色を持っていると思われます。

 そのことは、和光大学の学生募集の資料にも若干出ておりますから、あるいは諸君の中には、そういうものをお読みになって、その特色に惹かれてきたという諸君もあるかも知れない。それがどんなものであるかということは、多分、今日諸君の手もとに、「和光大学の教育方針」といった資料、あるいは「和光大学の新しい試み」といったような資料が配られているかと思いますが、その中には、多少、今日様子が変っている部分もありますが、一役的には、その方針で、今も動いていると考えておいていただいて良いだろうと思います。それはよく読んでおいていただきたい。自分の入った大学がどんな大学であるかということを知っていることは望ましいことですから、読めばわかることですから、一応、今日、明日、明後日のオリエンテーションの期間中によく読んでおいて欲しいと思います。

 ここで若干申しますと、まず第一には、概念的に申しますと、自由な大学ということになるかも知れません。和光大学は自由な大学であると言えるかも知れません。これも比較の問題ですから、日本中の何百という大学の中には、自由度という点でいろいろな違いがあります。

 ある大学は、非常に窮屈で不自由、というところもあるでしょう。例えば、単位履修についても、クラスごとに、学科ごとにきちんと時間割が決っていて、その時間割を全部、みんなが必修的に履修しなければならないという仕組になっている大学もあります。大体、高等学校に近いですね。高等学校には若干の選択科目がありますが、最近はコース制と言ってそれぞれコース別に学級別にきらんと時間割が組んであり、諸君が自由に、なんでも勉強できるという仕組には、あまりなっていない。戦後、間もない頃の日本の高等学校はだいたいそういうことになっていたのだがだんだん変ってきて、非常に窮屈なものになってまいりました。大学にもそのような窮屈な大学がかなりあります。

 本学の場合には、科目のしくみについていっても、二学部、四学科になっておりますが、それぞれの学科ごとに、専門科目について申しますと、カリキュラムが組んであります。こういう講義が行なわれるという講義の一覧表ができております。

 しかし、それは、その学科の学生はそれだけを勉強しなさいというようになっているのではなく、他学科の講義もかなり自由に聴けるようになっております。ことによったら、その講義をしていらっしゃる先生の承諾を得なければならないという部分もありますが、とにかく、かなり自由に他学科の講義も聴けるようになっております。一般教育という科目についても、大学によりますと、非常に少い講義が並べてあり、ほとんど全部の学生が同じ講義を聴かなければならないというようになっているところもあります。本学の場合には、かなりバラエティーのある講義がズラリと並んでおり、どれを選んで学習するかということは、ほとんど完全に諸君の自由にまかされております。

 専門科目になりますと、学科の性質によって多少、その自由度に違いがあります。けれど、通じて、他の大学に比べますと、必修として課する科目数が少なく、諸君の自由な選択にゆだねられている部分が非常に大きいということが本学の一つの特色であろうと思います。

高等学校を卒業したらもう “おとな”

 そういう意味においても、いわゆる自由な大学といえるかも知れません。そのような学科の学習だけでなく、私は毎年申しますけれど、和光大学は学生諸君をおとなとして扱いたい、子供として扱いたくない、諸君は大体、満一八歳以上ですね、一九歳、二〇歳の人もいるでしょうが、今、日本でもぽつぽつ一八歳成年という論が出ています。二〇歳にならなければ選挙権を与えないなどと言わないで、満一八で選挙権を与えたらどうかという意見が出ております。高等学校を卒業したらもう一人前のおとなであり、そしておとなとして扱いたい、諸君もおとなとして扱ってもらいたいだろう、こういうわけなのです。

 そういう考え方から申しますと、例えば、諸君の入学試験の時に、お母さんかついていらっしゃる方がありますね、私は、あれはあまり好かないのです。高等学校を卒業して、一八歳になった青年あるいは淑女が、入学試験を受ける時に親について来てもらうという、そんな、今だに乳離れしていないようなことでは仕様がないんじゃないか、ついて来る方も悪いが、ついて来てもらう方も悪いと、こういうことを時々言うんですが。一昨日の登録の日にも、かなりのご父兄が見えておられたようですが、これもあまり感心しない、正直にいって私はそう思っております。私はお母さんに文句はいいたくない、ついていくというお母さんを振切って、お母さんなんかついてこなくていい、自分一人で行くんだ、というような主体性、それの欠けた青年がいるというのは、あまり感心しません。これは一つの例ですが、ついてきて下さるお母さんの悪口をいうのではありません。一人前のおとなとして扱いたいと私は思っているのです。

 そのことは、大学の中におけるいろいろな活動、生活においても一つの原則として考えてゆきたいと思っております。

 諸君は和光大学の中で、学習についても、これを勉強しなさいとか、この講義を必ずとりなさいとかいうようなことの制約は極めて少ない。あるいは比較的少なくなっている。学習以外の生活についても、何ものも強制しないというような考え方が基本的に貫かれております。すべては、諸君の自主的、主体的な判断と行動にまかせてゆきたい、というのが基本的な考え方なのです。

学問の自由は相互の自由の尊重から

 学問、思想の自由ということが日本国憲法にも謳われておりますが、どのような思想を持つかということについても、大学はまったく干渉しません。どのような思想を諸君が持ち、主張するかということについては、大学はまったく干渉はいたしません。

 ただ、大学というものの本質からいって、私はこのように考えております。どのような思想を持つか、それは諸君の自由であるけれど、しかし、大学というところは、例えば今日的に申しますと、ファッショ的な思想や反憲法的な思想を助長する場所ではない、それを持つことを力で抑制はしない、けれども、それは大学生にふさわしくないものだという考え方は、私どもは持っている。その意味で話し合いをしていこうということはあります。多少、また大学の歴史になりますが、大学という名前を持ったこのような存在は、歴史的にいろいろな変遷を経てまいりました。ある時代には、大学というものが、いわゆる軍国主義的な形の思想統制をする場所になったこともあります。およそ反軍国王義的な、反政府的な思想を持った青年たちがいて、その思想を主張するということになると、いきなり頭ごなしに弾圧を受け、あるいは学校から追い出されてしまうということがあった時代も、現に日本にもあります。

 しかし、歴史的に申しますと、そのようなものは、実は大学という名に価しないものであり、大学というところは、あくまでも思想、信条の自由ということを基本に置く、その自由というのは、いわば、批判的精神というようなものに基づいた自由であって欲しい、あるべきだという理念を持っているのが大学というものの性格であります。あるいは科学的精神と言い換えてもよい。学問に裏づけられ、そして伝統的な思想や学問や、ものの考え方を批判し、新しい考え方や新しい学問を創り出してゆく、創造してゆく、大学というのは、本来そういう場所として存在したものでありますから、そういう意味での自由を育成していくというように、私は考えております。

 従ってお互いに自由に考え、自由に思索する人たちの集っている場所として大学は考えてゆきたい、そのためには相互に、相互の自由を尊重するという精神があることが基本的に必要になってくる、そういう精神で大学生活をしてほしいというように私は期待しております。

逓減逓増方式

 本学には他の大学ではなされていないようないくつかの仕組みができております。

 例えば、入学するとすぐにプロ・ゼミが始まります。これは他の大学にはない、新しい一つの試みです。あるいは、入学してすぐに専門科目が始まります。多くの大学では入学すると二年間は一般教育をやります。三年目から専門科目が始まるというような仕組みになっております。

 このような仕組みになっていると、最初に申しました第三種の青年諸君は二年間足踏みをさせられるということになります。しかも、一般教育というのは、だいたい高等学校の授業のむし返えしのようなもので、さっぱり面白くない、学科によると高等学校の授業の方が余程よかったというようなものもあるというわけで、日本の一般教育は非常に評判が悪い。和光大学の一般教育が本当に理想的に行なわれているかどうか、それはわかりませんが理想的に行なおうと努力していることは事実です。そして、それを前期二年で終って、後期になって専門科目が始まるというようにしないで、専門教育は最初から始め、一般教育は諸君が卒業するまで続けて学ぶようにしたい、専門教育と一般教育を並行して行なうということになっております。

 本学の場合、今のところ、一般教育の分量は始めの方に多くして、卒業が近づくに従って少なくなってゆく、逓減するする、逆に専門科目の方は初め少なく、次第に増えてくる、逓増するという型にしてあります。これを、逓減逓増方式などと申しておりますが、英語ではdoubly taperingといいます。外国でも若干の大学ではそんなことを試みているようなところがあるようです。

 しかし今、世界中の大学で考えられております大学改革の案を見ますと、逆に専門教育を最初からぎっしりやり、それが一応終ったところで一般教育を始めてゆく、というように考えているところもあります。この考え方は、実は昔からあるんです。本学のやり方がいいかどうか、これは、世界的に見ますと本学とは違った、いま申しましたような考え方もありますから、今後、さらに検討を要する問題でありますが、少なくとも、前期二年で一般教育をやり、後期になって専門教育に入るなどということはのぞましくないだろう、せっかく意気込んで入学してきた諸君、入学したらすぐに、自分のやりたいことをやろうという諸君がいるとすれば、やはり、最初から専門教育にとり着いた方がいいだろう、専門教育にとり着きながら、いわば専門を超えた一般の教育を身につけていくというシステムがいいだろうということで、そのようになっております。

 大学紛争以来、日本中の各大学で、大学改革の試案が出ております。最近では、東京大学の案もだんだんかたまりつつあると新聞に出ておりました。かなり多数の大学で改革案が出ておりますが、ほとんど、案の段階であり、まだ実行されておりません。その改革案を見ますと、大部分の大学が、一般教育、専門教育の問題について申しますと、本学と同じような型に変わろうとしております。本学に似せたのかどうかはわかりませんが、だいたい和光大学タイプに変化していこうとしております。中には本学に訪ねてこられたり、本学の資料を取寄せて研究していらっしゃるところもありますから、ある意味で参考にして貰っていると思いますが、専門教育が最初から始められるということも、一つの特色と申しましょうか、他の大学と違ったところだろうと思われます。あるいは、さきほども申しましたように、学科の性質上、多少の違いはありますが、選択科目の選択の幅が大変広くなっているということも一つの特色であろうと思います。

少人数教育

 このような和光大学のいくつかの特色にもう一つつけ加えるならば、少人数教育というのがあります。今年は八〇〇幾人の諸君が入学されましたから、あまり少人数でもなくなってしまいましたが、しかし、いわゆるマンモス大学などといわれているところに比べると少人数といっていいでしょう。

 時間割の組合せや、学科の性質の関係で、一つの教室で多数の学生諸君が講義を聴くというようなことも、結果においては出ておりますが、一〇〇〇名を超える受講者の集まる講義というのはありません。一年生八五〇〜八六〇名しかおりませんし、それで多くの専門科目に分かれて受講いたしますから、多くても二五〇〜三〇〇名ということになります。それでもオーバーする教室があるかも知れない。これはある意味では仕方がありません。自分の聴いてみたいという講義があり、そこへ大勢集まってくるのは、それは諸君の自由ですからどうしようもありません。

 かつて、坪内逍遙先生が、早稲田大学でシェークスピアの講義をされた時、この講義には千数百名の学生が押しかけてきて、講堂に入り切れなかったというお話があります。それは大変いいことなんです。そのようにして多くの学生が入ってくるということは大学にふさわしいことであり、それをマスプロ教育などというのはおかしい、そうではなく、誰れはあの講義を聴くようにとか、クラスごとに講義がきちんと割当てられたりして、その割当数が一〇〇〇人にもなっているというのなら、それがマスプロ大学ですね、自由に選択をさせて、あるところには大勢押しかけることもあるという形はマスプロ教育ではありません。そういう意味で比較的少人数教育になっております。

 一般教育の場合は大勢の聴講者の集まる講義があるようですが、専門教育の部分になると比較的少人数のグループで学習できるように仕組まれております。後期になると、後期ゼミと称しているものが始まりますが、これはおおむね一〇人内外となっているようです。私も本学で若干の授業を担当しており、後期ゼミは三年目になりますが私の後期ゼミに出ている学生は、一昨年が三名、去年が三名、今年は何名になるかわかりませんが、だいたい三名とつき合っている。欠席する者があれば二名になったり、一名になったり、一対一の授業ですね、三人位ですと、めったに欠席する者もありませんが。このように三名、五名、七名といったような、小グループで、かなり密度の高い学習、研究ができるような、そういう部分もかなりあります。クラスサイズは大小さまざまであり、ただし五〇〇人とか一〇〇〇人とかのクラスサイズはないというようなことになっております。これも一つの特色であろうと思います。

 その他、いろいろありますが、例えば外国語が普通の大学では、英語が第一外国語として、指定されていて、第二外国語でその他の外国語を選択するようになっている。本学の場合は、英語以下、多数の外国語が並べられてあり、どれでもいいから一つだけは必修としてとるように、ということになっております。しかし、この必修というのは、卒業するためには、必修として一科目はとっておくようにということです。卒業するつもりがなければ取らなくても結構です。そのかわり、三科目、四科目と取ってもよい、それも一つの特色でしょう。このようにあげてゆきますと、あれこれ、いろいろな試みがなされております。

自由な積極性を望む

 しかし、このような試みは、実は諸君のさきほどから申しております主体性、自主性に期待して、その主体性、自主性をできるだけ生かしていくような場を用意しておいてあげたいということで考えられている仕組であり、それ自体が自分で諸君を教育するわけではありません。例えば、朝鮮語が開講されておりますが、開講されていても、受講する学生がいないならば、無駄ですが、そのかわり三人でも五人でも受講する学生があれば授業をいたします。

 このように豊富な選択の枝が用意してあるということは、諸君の中に、いろいろな希望の違いがあるだろう、個性の違いがあるだろう、やりたいことの違いがあるだろう、そのことに大学は場所を提供しようというだけのことなのです。プロ・ゼミにしても、プロ・ゼミという場を設けてあるというのが本学の特色ですが、それを諸君が生かすか、生かさないかということにより、プロ・ゼミの効果というものが出てくるのであって、生かすつもりがなければ、一人も聴講生のいない朝鮮語と同じであり、あっても、無きに等しいという性質のものでしょう。

 大学のシステムが諸君を教育してくれる、システムにまかせておけばいいなどと考えたのでは、このようなシステムはまったく無意味になってしまう。このようなシステムは、すべて諸君の自発的な主体的な意気込みと選択によって、はじめて意味を持つという性質のものであります。そのことを最初からよく理解しておいてほしいと思います。

 学生諸君の中には、こんなことをいうひとがあります。自由はいいけれど、あのようにバラエティのある沢山の授業科目を並べておいて、何んでも好きなことをやりなさい、というようになっていると、何をやっていいのか、わからない、目移りがして仕様かない、デパートへ、いくらかのお金を持って、何か買おうと思って行ったけれど、あまり沢山買いたいものがあり、目移りして仕様がない、結局、何も買わずに帰った、そういうお客と同じように、何をしてよいのかわからず、ボンヤリしていて、先生なんとかならないものでしょうか、という学生がおります。もう少し目移りのしないようなデパートにして下さいということなんです。みんな一種類しかなく、選択の余地がないようなデパートにしてくれると、安心して買えるというわけです。

 それは、君たちが決めることであり、その中から何を選ぶかは君たちが主体的に決定すべきものであり、それが基本なのです。ただし、そこに教師がいる、教師がいるから相談にゆけば、アドバイスはしてくれるだろう、何かわからないことがめったら、先生方にアドバイスを求めにゆく、それは諸君の自由や主体性に抵触することではありません。少人数教育ですから、できるだけその特色を諸君自身が生かして、本学の先生方を、フルに、いわば利用してほしい、ということで、この自由を賢明に、諸君が自己を深くし高くするために生かしていただくということが、こういう空気の中で諸君に与えられた課題であろう、あるいは諸君自身に対する責任であろうと私は思っております。その点でも、諸君の方に主体的な積極性さえあれば、割合、具合のいい大学になっていると私は思っております。

 先生方はお一人あるいはお二人位で一つの研発室に入っておられる。研究室へ行けば、多分、先生方は喜んで諸君の相手になって下さるだろうと思います。研究室でも廊下でもよい、場合によったらお宅へ伺うのもいいでしょう。多くの先生方がいらっしゃいますから、教師をできるだけフルに、有効に利用する、ということが、賢明な大学生生活をしてゆくために必要な一つのポイントであろうと思います。

 学長室にも自由にやってきて下さい。一人ででも、グループでも結構です。議論をするのも雑談でもいいでしょう。諸君が来る時はいつでもいるというわけにはまいりませんが、あいている限り諸君の話相手になります。

 そういう意味で、この大学の持っている、比較的、他大学には見られないようなしくみと自由の精神というものを諸君自身が、自発的に積極的に生かしてゆくということを期待したい。それがなければ、この大学の持っているしくみそのものが実は死んだしくみになってしまう、ということを特に申し上げておきたいと思うのです。

 このような考え方を私どもは持っておりますから、諸君も、今申しましたようなことを念頭においてこれからの学生生活のスタートを切ってほしいと思うわけです。

立派な退学者たち

 いま、私はここに何枚かこのようなリコピーしたものを持っておりますが、これは、この三月に和光大学を退学した諸君の退学願いです。一年間在学して退学する人、二年間、三年間在学して退学する人といろいろですが、その退学願の退学理由の欄を見てみますと、面白いといっては悪いんですが、大変面白いことが書いてあります。ただ家庭の事情、一身上の都合、と書いてある。こういうのは、何んのことかよくわかりませんね、また、父親が亡くなり、自分で働かなければならなくなったのでやめる、とこれははっきりしておりますが、そういう理由が書いてあるものもあります。

 ここに持ってきたものをいくつか紹介しますと、音楽を専門としたいので退学します。というのがあります。和光大学に入って、サークル活動か何か、または音楽の一般教育の講義もありますから、その刺激もあったのか、とにかく入学する時は音楽を専門にする積りがなかったから和光大学へ入ったのでしょう。入って二年間のうちに、音楽をやるという志望が固まったんですね、ところが和光大学では音楽を専門にできるような教育はなされていない、だからやめてゆく、将来どのようにするのかわかりませんが、とにかく和光大学ではやれない専門をやる気になったからやめますという、これは立派ですね。それから、都合により(お茶の稽古に専念するため)と書いてある、和光大学ではお茶は教えない、この学生は茶道クラブのメンバーであっただろうと思いますが、クラブ活動をしているうちに、これを専門にしていこうという決心をして、本格的な茶道の修行を誰れか師匠についてやりたいというわけですね。だから二年間在学してあっさりやめていくというわけです、大変みごとで、きれいですね。それから、学業に興味を失い、商人として見習いに入りましたから退学します、というのがある。勉強がいやになった、商人になることを決心して、もう見習いに入ってしまった、だから和光大学をやめるんだというわけですね。これも、何かさっぱりしていて、立派ですね。

 自分の歩む具体的な進路が明確になり、その道を進む決心がつき、自分の進路、生き方を大学において考えるという、入学当初の目的が達成されたから退学します、というのがある。

 自分が和光大学に入ったのは、大学に入って自分の進路を発見したいというつもりで入った、あるいは自己を発見したい、何に自分の情熱を燃やしたらいいのかわからない、大学に入って考えてみよう、いろいろな講義も聴いてみよう、そうすれば何か見つかるだろうと思って入った。そしてようやく見つかった。だからもう大学にいる意味がなくなった、これからは自分でその道を歩いてみたい、というわけですね。これも大変立派だと思います。

 同じような理由ですが、これは一年間在学してこの三月に退学した学生です。

 「私は、この一年間和光大学で生活してきたことを悔いてはいません。反対に、自分にとって良かったと思っています。しかし、現在ただいまの時点からは違ってくるのです。というのは、大学に入学した当時、私自身まったくの暗中模索の状態であり、自分自身を掴むことに必死でありました。ところが現在、大学に頼らなくても自分自身で歩むことができる自信がつきました。だから、いまこの時点で、私が頼っていた大学、そして大学生という自分から脱皮したいと思います。これから、常に私は、私自身に向って脱皮していくつもりです。」と書いてあります。一年間在学した女子学生です。非常にみごとな退学の仕方だと私は思っております。大変りっぱです。このような立派な退学をする諸君が、諸君の中から出てくれば、私はその諸君に拍手を送りたい。この諸君全部に私は手紙を出したいと思っています。結構だ、しっかりおやりなさい、何か話したいことがありたらいつでもいらっしゃいという激励の手紙を出したいと思っていますが、そういう諸君が、いま集っている諸君の中から出るならば、それは、実は和光大学を非常によく利用してくれたということになるだろうと思うのです。大学をいろいろな意味で、特に和光大学を、入ったからには、このような諸君のような意味で利用することも非常に貴重なことでありましょう。

 そのほか、さまざまな意味で、意味ある利用の仕方でこの大学を利用してほしい、ということを諸君に期待をするものであります。どうか意義のある学生生活を過ごしていただきたいと思います。

(昭和四六年四月)