本日から諸君は我が和光大学の、第二回の学生として入学をされることになりました。まず以て、おめでとうございます、と申し上げておきます。しかし諸君の中には、いろいろな苦労をしてこられて、なかにはあまりおめでたくない顔をしておる諸君もあるかも知れません。一流の大学、あるいは有名大学を志して、うまくいかないで、やむを得ずここへ最後にすべり込んだという諸君もあって、あまりうれしくない顔をしながら坐っておる諸君もあるかも知れないと思っておる。しかしまた一方にはそうではなくて、最初からここをただ一つの希望大学としてねらってこられて、何かこの大学の内容なり何んなりに魅力を感じ、かなり熱心にこの大学の考え方や、やり方を研究し調べて、その上で、お父さんやお母さんの反対を押し切って、ここへ入ったという諸君もあります。現実にそんな人の固有名詞も私は知っております。そういう諸君もこの中には坐っておるわけです。
そんなわけでいろいろな方々が坐っておられるわけでありますけれども、私はそのようにして、なかには今申しましたように、多少の挫折感を感じながらここへ、とにかく入ったという諸君もあることを事実として、卒直に認めておくべきだと思うのであります。諸君もまた、それを卒直に認めてよろしいことであろうと思うのであります。ただ私どもは、そういう諸君もおそらくここで何ヵ月かくらしておられるうちに、やはりこの大学に入ってよかったというような、そういう考えを持っていただけるだろう、また持っていただけるように我々も努力をしていきたいと考えております。現に昨年入った諸君の中にも、そういう諸君が非常にたくさんおります。始めはやむを得ず入ってみたけれども、大変うれしくなって、夏休みには同じ高等学校の卒業生仲間が郷里へ帰って、それぞれ自分の大学の話をし合っている中で和光のことをいろいろと友達に話す。とうとうそれが実って、他の大学に入った諸君が本年度二年生に転入するというような結果を生じておるケースもございます。
私どもとしては、前にのべたような事実を認めながら、そのような諸君ができれば、なるべく早い時期にこのような一種の挫折感から立直り、ここを自分達の生きる場所として自信を持って生きてゆけるような、そのような考え方に変ってくることを期待し、またそのように我々も努力していきたいと思っておるわけであります。どうか諸君もそのつもりでここに入った以上は、ここを自分達の一番良い住み場所と考えるようにみずから努力をしていただきたいと思います。
諸君がご承知のように、今日本では大学の問題が非常に大きな問題になっており、新聞も雑誌も殆どこぞってと言っていいくらいに大学の問題を取り上げており、大学そのものの在り方について、また大学に入っておる学生の在り方について、いろいろな疑問やいろいろな批判が出されております。私もまた、そういう状況の中でしばしば引っぱり出されて大学の問題について話をしたり文章を書いたりさせられておりまして、諸君のうちにもそんな物を読まれた方もかなりあったようですが、まさに大学の問題が日本中の問題になっておるというこの時期に、私どもはここに新しい大学を始めたわけであります。
この大学はそういう時期に、国民のそのような疑問や批判や、あるいはその底に潜んでおる大学に対する国民の期待に答えるような大学というのはいったいどんな大学であるだろうか、大学がどんな大学になったらそのような疑問や批判に答え、国民の期待に答え得るような大学になるであろうか、という問いに一つの答を出してみようとして生まれた大学です。この答は理屈の上ではある程度わかっております。しかし、これは大学に住む教師と学生とか、やはりみずから研究もし、実験もし、行動もしてゆく上で作り上げてみせるより他に仕方のないものであります。
そういう意味で私はしばしば、和光大学は一つの実験大学であるというようなことも申しております。自然科学者がモルモットを扱って実験をするようなものではございませんので、諸君は決して実験の対象ではないわけです。諸君自身が先生方と一緒に、本当に意味のある大学生活とは何であろうかということを模索しながら、探究しながらみずから試してみるという、そういう意味での実験でなけれぱならないわけでありまして、昨年以来、本学では先生方にもその実験について 一生懸命に研究をしていただいております。なにしろ、このような多くの問題をはらんでおる日本の大学の状況の中で、何か国民の期待に答え得るような大学を作っていこうということは、研究をしていかなければできないことであります。マンネリズムに陥っております普通の大学、普通の教育の仕方ではできないことでありますから、本学では各学科の先生方が昨年以来しばしば集って、しばしばそういう問題で研究を続けていただいております。次第にこのことは実っていくだろうと思っておりますが、先生方自身が学者としての研究をおやりになりながら同時に、大学生をどのように教育していったらよいかということを真剣に研究を続けていただいておるわけです。
私はここに、この大学の一つの大きな特色があると思っております。そういう大学でございますから諸君もそのつもりで我々の研究と申しますか、新しい大学を作っていく仕事に一緒になって協力をしていただきたいと思うわけであります。これが新しく入られた諸君に対する私の第一の期待であります。
このように新聞や雑誌に出てまいります大学批判の中には、例えば、最近の毎日新聞に連載されております「教育の森」というのがございますが、あれは今丁度大学を扱っております。これを書いておりますのはご承知のように村松喬さんという毎日新聞の論説委員でありますが、最近は特に東京大学を取り上げて、東京大学を非常に鋭い筆法でいわば叩いておられます。筆誅と言ってもいい位の鋭い筆法で村松さんは東京大学をえぐっております。
ついこの間ある機会に私は村松さんとやはり大学問題で座談会をいたしました。これはお母さん方がたくさん集っていらっしゃる公開討論会のような会合でございましたけれども、その席上村松さんは、集った父兄の方々に「あなた方も東大へ子供を入れたいと思って躍起になっていらっしゃるんでしょうけれども、東大がいったいどんな大学であるかご存知ですか、試みに駒場の教養学部の門をくぐってあの門内に二、三分立って、あそこをうろついている学生どもの顔を見てご覧なさい。 天下の秀才が集っている筈だが皆ポカンと口をあけ、ドロンと濁った目の色をして虚ろな目で空を仰いだり地面を見たりしておる。まさにこれは白痴の集団ですよ。」こういうように言っておりました。私はそのような現象を秀才ボケあるいは優等生痴呆症というようによんでおりますが、東京大学に集っておる、いわゆる優等生諸君がそのような状態になっておるということは、これは日本の教育の問題として非常に重大な問題でありますけれども、これは、私は東京大学に限らないと思っております。
長年いわゆる受験勉強をしてきて、やっと入学したので、そこで一種の虚脱状態がそこに起こっておる。東京大学のある先生はこの状況を指して、一種の潜水病であるというように言っておられるそうであります。例えば原子力潜水艦によって何十日という間、海底にもぐっていて、たまに浮き上って港に入って上陸をする。その時に起こってくる非常な解放感と虚脱感というものそれが潜水病でそれに似ておるのではなかろうか。こういう話であります。私は事がらがそういうことでありますならば、東京大学の教養学部の一年生諸君がしばらくポカンとしておるのはそれでよろしいと思います。しばらくポカンとしておればまた元気が出てくるだろう。立ち直ってくれるだろうと思うのです。しかし事実はどうやらそうではないらしいのであります。
つまり小学校、中学校、高等学校と学んできた勉強の仕方、勉強の中身というものは、若い、特に中学校や高校段階の青年諸君の、情熱や意欲やエネルギーというものにカチンと答えるような勉強ではなかった。だから、それからくる解放感というものが当初においてあることは結構でありますけれども、しかし、東京大学の場合、事がらはしばしの解放感としてぼけているということではなくて、そこで再び取りかかっていく勉強というものが依然として高等学校以下の勉強と同じ質の、世間でよくいわれるつめ込み教育と申しますか、ただ単にでき上った知識を受け取って頭の中にしまい込んで、試験の時にはそれを頭の中のたんすからつまみ出して書くというような、そういう勉強の仕方の引き続きになっておる。その事実には耐えられないというのが、東京大学教養学郡の諸君の歎きのようであります。私は東京大学教養学部の学生諸君とも、過去数回にわたっていろいろな機会に話し合ったことがありますが彼等の歎きがそこにあるのです。そしてそれは単に東京大学に限った現象ではないように思われます。和光大学はそこにメスを入れてみようと思っておるのであります。
少し誇張して申しますならば諸君が小学校から高等学校まで学んできた勉強というのは、これはきちんとでき上った、きちんと決った規格化されておる知識を規格どおりに学んで頭にしまい込んでおくというような勉強であっただろうと思われます。そのようになっておるのであります。そのこと自体が果していいことであるかどうか大いに問題ではありますけれども、少なくとも大学に入ったら、もちろんそのような、一種の道具あるいは武器とも言うべき学科の勉強はちゃんとやらなければなりませんけれども、やはり、自分で何かを研究するということが大切だと思うのです。それを近頃は創造性とか創造的な活動とかいう言葉で呼んでおります。既成の知識を学ぶだけではなく自分で何かを創り出していく、このような勉強をすることによって、諸君がいわば東京大学の学生の状態として批判されておりますような、そういう大学生活の仕方とは趣きの違った生活をここで展開してくれるということが大事なことではなかろうかと思っております。
小学校や中学校でも、例えば美術の世界では、これはきちんときまったことをただ習っていくというだけでなくて、自分で、自分の発想で自分独自の絵を描いてその描いた絵を先生が批評して下さる、というような勉強を今でも日本の子供達はしております。だから描いてでき上った絵は一人一人違った絵を描いております。みんなの生徒がまったく同じ絵を描き上げてしまうなどということはございません。
ところが、いわゆる知識の世界では、答案はまったく同じ答案ができなければいけないようになっております。それぞれ違った答案ができるとそれは、要するに百点を取ったか九〇点を取ったか、五〇点を取ったかという違いだけであって、同じ問題には正しい答えは一つしかないという、そういう知識を学んで貯蔵することだけに諸君は追われて来たわけであります。本学には芸術学科がございますから、芸術学科の諸君の多くはそのことをすでに小学校以来やっておる諸君でありますけれども、芸術学科以外の学生諸君も絵の勉強と同じようにやはり一人一人違った結果の出るような、ある一つの事がらを調べてみたらその結論は一人一人違っておる、調べ方はきちんと厳密にやっておるけれども答えは違っておる、そこにその人の個性やその人の考え方というようなものが惨み出ておるというような、そのような勉強をして貰うということが、私は大学に入った大きな意味であろうと考えておるのです。
本学ではすでに多くの諸君がご承知と思いますが例えば、入学試験の時は面接をいたします。なぜ和光大学を受けたかという質問がされますと、ここは少人数教育だから入りましたというような答えをする諸君がかなりあったそうですが、少人数教育をやっておるということも実はそういうこととつながっておるのであります。ここは昨年に比べてかなり多数の諸君が本年は入られましたけれども、少人数教育の方針はそのまま維持されており、若干の主要な学科については三〇人、三五人のクラスに先生が一人ずつついておられて諸君との人格的な接触も密接にし諸君の相談相手にもなって上げようと、いうようなシステムになっておりますけれども、これもいま申したような趣旨のものでございます。
でき上った知識を型どおりに教えて、型どおりに復習をさせて、型どおりに○×式で試験をしてそれを型どおりに採点をして成績をつけるということならば、あえて少人数教育をする必要はないのであります。諸君は小さなクラスの中で、クラスメートと絶えず議論をしながら、絶えず友達の意見を聞きながら友達の人生観を批判し、みずからの人生観も批判されながら、そのような共同思考の中でめいめいがそれぞれ自分の考え、自分の人生観、自分の生き方というものを作り上げていく、そのための少人数教育なのであります。
また本学では、できるだけ諸君の学生としての自由を尊重していきたいということを方針としております。諸君はすでに大人だから大人として諸君を待遇していきたいというようなことを大学の一つの方針として考えております。これもそのような自由な空気の中でこそ諸君が、自分を作り上げて行ける、自己を創造して行けるということを信じておるからであります。そのような趣旨で私どもは諸君と一緒にやっていこうと考えておるわけでございますから諸君もどうかこの大学に入った以上は、めいめいが自分を作り上げて行く、何かユニークな、他の人とは違った自分の世界を築き上げていくというつもりで、これからの四年間を過ごしていただきたいと思うわけであります。
昔の大学は学生の数も非常に少なく、古い時代を考えてみますと、日本には東京大学だけしかなかったという時代がありました。いわゆるエリートの養成機関として国中の青年の中の、いわゆる秀才、俊秀といわれるような人だけがそこに入ってそれぞれの何か高級な専門家になるということがございました。学者になったり、あるいは高級官僚になったりというようなことでございました。しかし今は大学生の数は百万といわれております。大学がいわゆる大衆化しておる時代であります。
この大学の大衆化現象については世間ではいろいろな意見がございます。大学生が多すぎるんじゃあないか。同じ年齢の青年の人口に対する大学生の数というのはアメリカが三〇数パーセント、イギリスが一〇パーセント内外、日本は一五・六パーセントになっております。アメリカに次いで世界第二の大学生人口をかかえておる国であります。これは少し多すぎるんじゃないか、だから大学を少し圧縮してさらに大学に入っても大学を遊び場に使っているような青年は入らせないようにした方がいいんじャないか、という意見もございます。
しかし私は、この意見には反対なのであります。もちろん昔のように東京大学だけしかなかった時代のようなそのような高級専門家に今の大学生の全部がなるということは、それは期待できないことでありますし、その必要もないことであります。しかしこれは日本の経済の成長というような立場から考えましても、あるいは憲法や教育基本法が掲げております文化国家という理念から考えましても、できるだけ多数の諸君がやはりなんらかの意味で大学卒業生らしいいわゆる専門家になる、エリートになるということは、非常に望ましいことなのであります。
今専門家とか人材とかいうことはかつてのように学者になるとか、あるいは高級官僚になるということだけではないのであります。どんな中小企業の従業員にもあるいは経営者にも、そこでいわば学問的に研究をして、そして経営なり技術なりについて、個性のある特色のあるものを開拓していくという可能性もあるし必要性もあるのです。いわゆる秀才型、優等生型の専門家だけではなく広い学生層にわたって、広い職業の分野にわたって、このような専門的なエキスパート的な才能を磨いていくということの可能性と必要性が、今や生まれておる社会に我々は生きております。そしてまたそれは可能なことなのであります。私は東京大学型の優等生を欲しない。東京大学に入った諸君から見れば、あれはあまりできが良くない、あれはあまり頭が良くないといわれるような諸君の中に潜んでおるエネルギーと創造力というものを私は信じたいのです。
創造力というものは一部少数の人だけにあるのではなく、誰の心の中にもひそんでいるものだということを私は信じております。引き出す方法、引き出す環境、引き出す条件さえあれば必ず出てくるものだということを信じております。その意味で私は学生諸君に、いわゆる学者になってもらおうとは思いません。いわゆる高級官僚になってもらおうとも恩いません。しかしどの世界に生きても、例えばお父さんの商売を継いで、材木屋さんをやるということでもよろしい、どの世界に生きても、諸君がみずから研究をし、その研究をする時には大学で習った学問的な仕方で、精密な研究をする。そして生まれた自分の創意やアイデアを生かして独自の経営を、独自の仕事をやっていく世界はいくらでもあるのです。これは会社に勤めても同様であります。
そういう意味で諸君は学問を学ぶ、学問的方法を学ぶ、創造活動の一種として学問研究が持っておる厳密な方法を身につけて、それをいわゆる学問の世界でなしに実務の世界、実社会において生かしていくというようにすることが、大学という場所に諸君が学ぶことの、私は意味であろうと思うのであります。
女子学生の諸君がかなり今年も入っておられますが、昨年の大学祭で、あるクラスの女子学生は、女子学生亡国論を取り上げましてこれをいろいろ調査をしたり、研究をしたりしたようであります。私のところにもこの学生諸君がたずねて参りました。ついでに申しますがここの学長室は今、昨年の例で申しますと、しばしばいろいろな諸君がフラリとはなしに参ります。私もそういう諸君が来てくれることを楽しみにしております。
どうぞ今年も自由に学長室へ来て、私とダベってほしいと思っております。ところでその女子学生諸君が学長室にやってきていろいろ疑問を出すのです。自分達の中には、必ずしも何かの専門職を身につけて職業婦人として立とうという希望を持っていないものがおる。大学を卒業してまあ二、三年どこかに勤めるかも知れないが、その後結婚をしたら働かないで家庭で子供を育てたり、台所仕事をやったり、というようなことで生涯を過ごすだろうというように思っておる人もある。そういう女性は大学などに入って学問なんかしなくていいじゃないかという議論がありますが、学長先生はどう思いますかというのです。私はこう答えました。それは違うんじゃないか、和光大学を出た女子学生諸君はそれは、職業婦人として、学んだ知識や創造力をそれぞれの職場で生かすことももちろん結構だがそのまま家庭に入っても嫌わない、和光の卒業生が家庭に入ったらその家庭はおそらく何か、学問的という言葉を使っては悪いのですけれども、大学で創造性の開発を受けた女性として自分の台所なり、家なり、家庭管理なり、子供の教育なりに個性のある独自の家庭を作ってくれるだろう。少なくとも高等学校を卒業しただけの女性が営んでおる家庭とはどこか質の違った家庭を、そこに創造し築いていってくれるだろう。そのことを私は期待しておるのだ。それが亡国になるかどうか。私はそれが亡国になるとは思わないというような話をしたのでありますけれども、そのような考え方を私どもは持っておるわけであります。
どうか諸君、しばしば東京大学を例に出していけませんけれども、東大型の優等生等を羨んだり、それに対して劣等感を感じたりというようなけちな考え方はさらりとすてて自分達の中に潜んでおる筈のものを発掘し、そういうことを発掘し得ないで、高等学校流の教育を受けたきりでただの物知りになって、あるいは物知りにならないで大学を卒業する多くの大学の卒業生とは質の違った大学生活をしているということに誇りと自負をもち、そのような何ものかを身につけた学生として、あるいは卒業生として世の中に出て欲しいのです。そのことを私は心から諸君に期待しておるわけであります。そこにこそ私は、今のさまざまに批判されている日本の大学の状況の中で、私どもがここに一つの実験的な大学を作っていく歴史的な、あるいは社会的な意味もあるだろうと思っておるわけであります。そのことのためにはいろいろな工夫もいります。先生方の方でもいろいろと工夫をしていただいておるわけでありますけれども、諸君自身もみずからがそうなる為にはどうすればいいかということを、やはり大学作りの立境において考えて欲しいと思うわけであります。
私はさきほどから創造性とか創意とかいうことを繰り返して申しましたけれどもこの和光大学を作っていくという仕事自体が、実は一つの新しい創造活動でありますから、幸いにこのような創造活動を醗酵しつつあるこの大学に諸君が籍を置いたということは、さきほどから申しておりますような意味において諸君の創造力を開発していく、掘り起こしていくという為にも絶好のチャンスではなかろうかと思うのであります。すでにマンネリ化してしまって大学が機械のように動いておるという中に住むよりも、これからどうなって行くのかわからん、へたをすればまずい大学になるかも知れない。しかし、我々が創意を生かしながら研究的にやっていくならば、非常にすばらしい大学ができる可能性もそこには存在する、という状況の中に諸君が置かれておるということは、もしその立場を諸君が積極的に生かしてくれるならば諸君の人生経験としても非常に貴重なものになるだろうということを期待しておるわけであります。
大学の具体的な事がらについては、明日以後オリエンテーションの期間があって各方面から話がなされます。私も明後日もう一度諸君に会ってやや具体的に私どもの考え方、過去一年間の経験などについて諸君にお話をしてみたいと思っておりますから今日はこれくらいで終っておきますが、どうか和光大学に入ったことを意義あらしめるような生き方をしてほしいと思います。
(昭和四二年四月)