和光大学

 和光学園が大学を作ることを決意し、その準備にとりかかった。大学を作るということは、なかなか大変なことである。大きな教団か財閥がごそっと大金を投げ出して、どうぞご自由に、よい大学をお作り下さい、ということなら、大学作りも簡単だが、和光の場合はそんな金づるは全くなく、これまで和光を育ててきた親たちが零細な金を持ちよって創立資金を作り、それを種にしてやってゆこうというのだから、容易なことではない。金の苦労が大変である。

 それだけに、そんな苦労をしてまで大学を作る必要があるのか、ということが当然問題になる。大学なんか全く馬に喰わせるほどたくさんあることだし、そしてこのところ毎年いくつも新しくできている。そうした何百何十という大学のある中に、和光大学というちっぽけな大学を一つ加えることに、どれだけの歴史的意味があるというのか。一体、日本の私立大学は慶応や早稲田を大老舗とするものであり、この二つは福沢諭吉と大隈重信という創立者のユニークな人格と不可分な学園であって、いわば福沢大学、大隈大学である。その前後にできたものには、新島襄の同志社や成瀬仁蔵の日本女子大学など、個人のイニシアチブにもとづいて、しかもその個人の思想と信念を貫き、扶植するための施設として生まれたものが少なくない。これらはもともと伊藤仁斎の堀川塾だの、あるいは吉田松陰の松下村塾のようなものの伝統をついだものであると言っていい。大正時代に生まれた新学校などもそれに近いものであった。

 中村春二の成蹊学園、沢柳政太郎の成城学園、小原国芳の玉川学園など、何れもそうでこれらの創立者個人の人格を抜きにしては、その存在理由が成り立たないといった性質の学園である。和光もこうした新学校の一つではあったけれども、和光にはそのような個性的で、いわば絶対主義的、専制的な創立者はない。日本の私立大学のいま一つのジャンルは教団経営のミッション・スクールである。それにはキリスト教系、外国系のそれと、仏教その他の国内系のものとがあるわけだが、何れにしてもそれらは教団の機関であり、教団の信仰・思想をもって建学の精神とするものであって、宗派主義に立つ排他的な教育施設であることをもって、その原則とする。いまわが国で経営が安定し、よい設備を持っており、大学らしい大学としての外観を保っているのはほとんどこの種の教団立大学だけである。比較的新しいもので双璧をあげるなら、カトリックの南山大学、天理教の天理大学がそのよい例である。

 和光大学というものが生まれるにしても、それは以上の二つの何れでもあり得ないことは明らかである。それでは、そのほかにどんな第三のタイプが可能であろうか。現実に存在する私立大学には、以上二つのタイプのほかに第三のタイプと呼んでいいものがある。それは第一のタイプのような、あるすぐれた個人の思想や主張を建学の精神にするのでもなく、またある教団の宣教伝道の機関であることを使命とするのでもなく、いわば単純な金もうけ仕事として、営利事業としての学校業として創業され、あるいは現に経営されているものである。今日では私立学校法をはじめとする法的規制で、予備校や洋裁学校、クッキング・スクールなどの各種学校は別として、「大学」と名のつく限り、営利目的ではやれぬようになっているけれども、実際には営利的な学校会社と呼ぶにふさわしいものが存在している。それらの大学には建学の精神もなければユニークな個性もない。無個性、無思想、無主張の、有料公園や電車、バスのようなもの、あるいは有料道路のごとき存在である。

 和光大学がそんなものでしかあり得ないなら、創立の意義はまことに小さいというよりほかはなかろう。

 和光大学は一人の偉大な創立者をいただく私塾型の大学でも、一つの教団の伝道機関としてのミッション・スクール型の大学でもあり得ないし、さりとて営利大学型の大学でもあり得ないとするなら、そのほかにどんな可能性がありうるだろうか。

 それはまさに和光学園が戦後歩いてきた道よりほかにはないだろう、というのが私たちの平凡な結論である。和光は創立者の精神を唯一の支柱としているのでもなければ、教団の機関でもない。しかし和光は営利事業などと言われるものとは、およそ程遠い存在である。和光はだから、創立者を崇拝する人たちによる寄付援助を受けることもなく、また教団等の資金を受けることもなしに、経営されてきたが、しかし和光は全く非営利的で、理事長以下の全理事は全くの手弁当による奉仕でその任に当ってきたし、経営はいつも火の車であるが、それでも一学級の子どもの数を四〇人以上にすることはしなかった。

 そんな和光学園を可能にしてきたものは一体何であったろうか。それは言ってみれば、そこを職場としている教師たちの、集団としての教育的情熱あるいは教育意欲みたいなものではないだろうか。そこには統一と持続の原動力としての偉大な創立者への崇拝も、教団の教条への信仰も、存在しない。にもかかわらず和光は一つの個性を持っている。その個性は一人の創立者や教団によって与えられたものではなく、そこに働いている人たちの間で、集団思考と集団行動の中で作り出されたものである。戦後の、日本生活教育連盟がこの学園を実験学校にしてから今日までの年月の間に、和光はそのような集団的な個性を作りあげてきたし、いわば以上のべた三つの型のどれにも属さない、第四のタイプのしかもユニークな個性と主張をもった私立学校として、成長したのである。

 和光が大学を作るなら、この路線の延長線上において、それを作るよりほかに道はないし、そうすることによって和光大学は、日本の数多くの大学の中にまじって、独自の存在価値を発揮しうるであらう。それはまさに教師の集団、教師の組織体としてのウニヴェルシタスである。教祖的存在の思想に依拠もせず、しばられもせず、また国家の支配に服することもなく、さりとて営利のための事業でもない、ただ学問と教育のすきな連中が集って集団的に運営している大学、その意味でヨーロッパの中世大学がその始源において示したような、学者教師の集団(ウニヴェルシタス・マギストロールム)としての大学の理念を今日において再現したと言っていいような大学、それが和光の大学のあるべき姿ではないだろうか。和光大学を作ることについての相談をうけながら、私は、そんなことを考えている。

(「生活教育」昭和四〇年五月)