編集後記

和光大学広報委員会

 和光学園三〇余年の教育実践の上に立って、実験学校(ラボラトリー・スクール)としての試みを大学教育の分野にまでひろげようと、和光大学があらたに発足したのは、昭和四一年四月一八日のことであった。それ以来、ほぼ一〇年の歳月が経過した。つまり、今年は和光大学の一〇周年にあたるわけである。しかし、これは和光のしきたりで、一〇周年記念式典だの一〇周年記念事業だのという仰々しいことはなにひとつしないが、一〇年といえば歴史の最小の単位でもあるので、この機会に一〇年間のプラスの達成もマイナスの失敗も洗いざらい清算し、総括して、つぎの一〇年間への飛躍の足がかりとしようという意見が学内に湧きあがってきた。
 そこで、私たち和光大学広報委員会はいくたびか会議をひらき、計画を練ったが、限られた予算と限られた期日にしばられて、なかなか思うにまかせない。壁につきあたって思いついたのは、梅根悟学長がこの一〇年間に和光大学について書いた文章を整理し、系統づけ、編集したならば、それはそのまま、特殊的には和光大学という小さな実験大学の足跡をあきらかにすることになり、また一般的には日本の大学教育改革への有力な示唆となるのではあるまいかということであった。
 ふりかえってみると、大学の発足にさいして、梅根学長は「和光大学の教育方針」なるものを文書化して、全教員、職員、学生に提示した。これをたたき台として、それぞれの学部、学科が討議をかさね、その結果、以後の大学の運営と教育上の指針が確立した。また、和光大学の独特の試みであるプロ・ゼミの制度も、「和光大学三年間の総括の試み」も、すべて梅根学長のイニシアティヴにもとづいたものであった。要するに、この一〇年間の和光大学運営の基本方針は、梅根プランをもとにして、それを学内の全員が討議し、合意したものだと言ってよい。
 そこで私たち広報委員会は、この一〇年間に梅根学長が和光大学について、あるいは大学教育一般について書いたすべての原稿に目を通し、そのなかからつぎの三つのグループをえらびだした。
 第一のグループは、実験学校としての和光大学について書かれた文章である。
 第二のグループは、毎学年のはじめ、学長が新入学生をまえにしておこなった講話である。
 和光大学では、世間で言う入学式も卒業式もおこなわない。そのかわり、学年のはじめには、あらたに入学を許されたすべての学生たちが、学長の坐っているデスクのまえで(現在は各学部長のまえで)、自分の名まえを署名し、入学の登録をおこなう。ヨーロッパの大学でいういわゆるマトリキュレーションである。 また学年のおわりには、すべての教職員や在学生の有志が卒業生をかこんで、ビールを飲みながら一種のカクテル・パーティをおこなう。学年のはじめにもおわりにも、いかめしい形式的な行事はひとつもない。 入学登録のあとでは、学長が新入学生にむかって講話するのがならわしになっているが、この講話は和光精神とも言うべきものをつぎつぎにあたらしい世代につたえていく上で、非常に重要な意味をもっている。
 私は、一九三三年にナチスが政権をとって、ドイツのすべての大学の学長を任命制に切りかえたとき、その任命学長のひとりにえらばれた哲学者ハイデッガーの学長講話と、一九四五年にドイツが戦いに敗れ、ふたたび学問の自由が回復されたとき、ハイデルベルク大学の戦後はじめて自由にえらばれた学長となった、これも哲学者ヤスパースの学長講話とを比較しながら読んだことがあるが、ある大学がほんとうに「生きいきとした精神」(ハイデルベルク大学の正面にかかげられたが、ナチス時代にひきずりおるされ、さらに戦後になってふたたびかかげられたグンドルフのことば)でみたされているかどうかをはかるバロメーターは、入学登録における学長講話にあると言っても過言ではないと思っている。そういう意味で、ここには昭和四一年度から昭和五〇年度にいたるすべての学長講話を再録した。ただ、昭和四四年度だけが欠けているのは、当時校舎の一部が一部の学生に占拠されていたこともあって、学長講話はおこなわれたが、その記録がとられていなかったからである。
 第三のグループには、梅根学長が大学教育一般、または大学教育改善の方途について発言した文章(A)と、自己の身辺を語った文章(B)、それにこれからの和光大学についての展望をのべた文章(C)をあつめた。(B)は、あらゆる理論はパーソナルなものとむすびつけられたとき、はじめて生きいきとした緑色にかがやくと思うからであり、(C)は、いま和光大学ではつぎの一〇年間にそなえて第四次建設計画委員会なるものを組織し、精力的な討議をすすめているが、まだ自由討議の段階を出ないし、今後も小規模な実験大学として終始しようという一般的な諒解以外には、具体的な結論はまとまっていないので、学長個人の展望をもって、この本全体のむすびとしたわけである。
 最後に、この本を出版するにさいして、講談社の高木三吉氏、原田裕教育出版局長、教育人文出版部の梶田英三氏と寺崎道子さんにひとかたならぬお世話になった。あつくお礼を申しあげたい。
 また学内では、原稿の利用と処理を一切広報委員会にまかせ、この本の版権を和光大学に譲って下さった梅根学長、予算上の配慮をして下さった春田正治事務局長、原稿の蒐集、整理、校正などの雑務をひきうけて下さった広報係の皆さんにお礼を申しあげる。なお、この本のなかの写真はすべて、和光大学広報係長渡辺千昭氏の作品である。

(文責 高杉一郎)