一、和光大学十年の歩み

昭和三九年五月二六日
理事会においてはじめて正式に「大学設置について」が議題とされる。
昭和三九年六月二九日
「和光学園大学の構想」(第一次草案)が理事会に提示され、今後研究を進めることになる。この第一次草案の大学の構成は以下の通りである。
文経学部(入学定員四〇〇名)
人文学科=文学・外国語・ジャーナリズム・図書館学
経営学科=人間工学・人事管理・市場分析
生活教養学部(入学定員三〇〇名)
生活科学科=栄養・住居・消費科学・保育・社会福祉
生活芸術学科=芸術学・生活工芸デザイン
教養学科=二年課程、小、幼の教員養成を付す
昭和四〇年二月一七日
第一回の創立準備委員会が開かれる。そしてこの委員会が具体的活動を進めるために、内部に学部編成及び資金の二小委員会がもうけられる。編成小委員会では従来の諸構想を検討し、「和光学園大学創立計画書」をまとめた。この時の最終案は次の通りである。
教養学部――もしくは人文学部(入学定員一五〇名)
イ、現代社会と人間科学――もしくは人間科学科(三〇名)
ロ、現代産業と芸術文化――もしくは芸術学科(二〇名)
ハ、図解理解と言語文化――もしくは英語英米文学科(五〇名)
ニ、日本の社会と文化――もしくは国語国文学科(五〇名)
経済学部(入学定員一五〇名)
イ、経済学専攻
ロ、経営学専攻
昭和四〇年三月一二日
創立準備委員会は町田市金井町及び川崎市岡上町にまたがる約二万坪を大学校地として買収することを決定する。以後買収交渉はじまる。
昭和四〇年五月一八日
創立準備委員会のなかに人事・財政及び建築の三専門委員会を設けて実行に入ることとなる。
昭和四〇年六月一一日
理事会は大学の建築及び造成工事の設計を山田水城氏に依頼することを決定する。またこの時名称を「和光大学」とすることになる。
昭和四〇年八月二四日
株式会社浅沼組と第一次校地造成工事の契約を結ぶ。
昭和四〇年九月一日
株式会社浅沼組と第一期校舎建築工事(五四二六・五五m)の契的を結ぶ。
昭和四〇年九月二八日
申請書類提出前の最終理事会において、予定している「人間科学科」はこれまでどこのの大学にもない新型学科であることから、すでに六月中旬に文部省の事前審査を受けるため「人間科学科設置要項(概要)案」を提出、かつ説明をしてきたが、それについては設置基準がないために許可されないことがあきらかになったので、これを「人間関係学科」とすること、及び国文と英文とをそれぞれ独立の学科とせず「文学科」として申請することが決定される。
昭和四〇年九月三〇日
大学設置にかかわる「学校法人和光学園寄付行為変更認可申請書」及び「和光大学設置認可申請書」を文部大臣に提出する。この時の学部学科編成は次の通りである。
人文学部(入学定員一五〇名)
人間関係学科六〇名/文学科六〇名/芸術学科三〇名
経済学部(入学定員一五〇名)
経済学科一五〇名
昭和四〇年一二月一五日
この日の私立大学審議会総会において、和光大学の設置認可が文部大臣に答申されたことを知る。
昭和四一年一月八日
はじめて全専任教員会議及び理事との懇談会をひらき、学長・学部長の決定及び運営委員の選出をおこない、ここに和光大学教授会が発足することになる。
昭和四一年一月三一日
文部省において次の認可書が交付され、先の申請通り認可される。
学校法人寄付行為変更認可書 付地管第一の九九号
昭和四一年一月二五日
和光大学設置認可書 付校大第二五六号
昭和四一年一月二五日
昭和四一年二月一三日
第一期工事上棟式挙行する。
昭和四一年二月二〇日
はじめての推薦制入試をおこなう。志願者一〇一名、合格九七名。
昭和四一年三月一三〜一六日
各学科毎に試験制入試をおこなう。志願者二八六名、合格二二六名。
昭和四一年四月一〜四日
第二次入試をおこなう。志願者一二九名、合格一〇八名。
昭和四一年四月一三日
補欠入試をおこなう。志願者二六名、合格二一名。
昭和四一年四月一八日
第一回入学式挙行。入学者三七三名、専任教員四三名、非常勤教員一五名、事務職員二九名で発足。
昭和四一年五月一〇日
梅梅学長の醵出により梅根奨学基金設置される。
昭和四一年五月二〇日
創立関係者多数参加して開学記念式典挙行される。
昭和四一年八月一五日
株式会社浅沼組と第二次校地造成工事の契約を結ぶ。
昭和四一年一〇月五日
株式会社浅沼組と第二、三期校舎建築工事(五五二五・八七m)の契約を結ぶ。
昭和四二年三月二七日
大学に教職課程を設置することが認定される。
昭和四二年六月三〇日
株式会社浅沼組と食堂棟増築工事(四九八m)の契的を結ぶ。
昭和四二年八月三一日
株式会社浅沼祖と和光大学短期大学部校舎建設工事(二二九六・〇七m)の契約を結ぶ。(第四期校舎建築工事とよぶ)
昭和四二年九月三〇日
「和光大学短期大学部設置認可申請書」を文部大臣に提出する。
昭和四二年一二月二八日
「和光大学短期大学部設置認可申請書」を取り下げる。
昭和四三年七月二〇日
静岡県榛原郡本川根町に「青部セミナーハウス」を開設する。
昭和四四年四月一日
梅根奨学基金を拡大し、和光大学奨学資金を設ける。
昭和四五年一月一二日
大学に専攻科を設置することが文部大臣より認可される。定員=四専攻科各五名、計二〇名。
昭和四五年三月二〇日
第一回卒業パーティー挙行される。第一回卒業生二二八名。
昭和四八年一月二六日
学生定員変更届(入学定員を六〇〇名に倍増)文部大臣に受理される。
昭和四八年二月二八日
教員の免許状授与の所要資格を得させるための聴講生の過程が文部大臣より認定される。
昭和四九年一〇月一一日
和光大学学生研究助成金制度が発足する。