昭和四七年度新入生に対する学長講話

大学は建物ではなく教師である

なぜ入学式がないのか

 大学とはいったい何んであるべきであろうか、なかんずく和光大学は何んでありたいと思っているのかというようなことについて、従って大学の学生はどういう生活をすべきであろうかというようなことについておおよそ三つ位のことを今日は申し上げてみたいと思っております。

 第一は、大学は自由な学習の場でありたいということ。第二は大学は哲学することを学ぶ場所でありたいということ。第三は、新しい時代に生きる。あるいは、さらに未来の社会を切り開く青年としてのいわばすぐれた、知的労働者、あるいは科学的労働者というものを育てあげてゆきたい、諸君にもそうなっていただきたい、こういうことです。

 第一は自由の問題、第二は哲学をする場所としての大学、第三はもし科学という言葉を使うならば、サイエンティフィックワーカー、科学的労働者、知的労働服務者として諸君が育ってくれることを期待するという、三つの点について少し雑談的にお話をしてみたいと思っております。

 諸君が、昨日最初に本学に登校されて、若干奇異に思われたことがあろうかと思います。それは、いかめしい入学式がないということ、入学の日に学長が姿を現わさないということ、妙な学校だなと思った諸君もあろうかと思います。父兄の方も今日はいらっしゃるようですが、そういう声があるようです。何故、そのようにいかめしい入学式をしないか、本学ではまた卒業式も、いかめしい卒業式らしきものはいたしません。学長がモーニングコートかなにかを着けて、そして告辞を述べて卒業証書を渡すというようなことはしないのです。何故そのようなことをしないのかということについては、若干の理由があるのです。それは、ある意味ではあまのじゃくかも知れませんね。世間普通の考え方に抵抗しているわけですから、多少、抵抗精神がその中には含まれているわけです。

 それは、私の大学観にかかわっていると言ってもいいかも知れません。大学というところは、そんないかめしいところであってはいけないだろう。大学に入ったということが非常に何か重大な事柄のように学生諸君は思っている。それは今の状況では仕方がないですね。入学試験があり、一生懸命ガリ勉をして、そしてようやく入ったというのですから、それはまあ一大事件であろうかと思います。

 しかし、それはあまりいいことではないのです。入った以上は是が非でも卒業しなければならない、というようなことで一生懸命やっている諸君がいる。今の日本の社会では、大学を卒業するということが、一種の特権につながっている。もう昔のように、日本に帝国大学が一つしかなかった、一万人のうちの一人位しか大学を出なかったという時代に比べると、今は、なにしろ諸君の年齢の五分の一が大学に入っておりますから、大学卒業生の大学卒業証書の稀少価値はだんだんどころか大いに低下しております。にもかかわらずまだ、大学に入った、大学を出たということが、ある、何か一つの稀少価値として親たちの目にも、諸君の気持にも残っているように思われます。

 その先入観念を捨てようじゃないかというのが、入学式をやらなかったり、卒業式をあまり仰々しくやらなかったりする一つの気持なのです。裏を言いますと、大学に入ったことに価値があるのではなくて、大学というものを利用して、さらに高等学校までの学習を土台にして、より深い学習をし、より鋭く厳しく自己を見つめ、そしてより充実した知識や思想、そういうものを自ら作ってゆく、自分のものにしてゆく場所として、大学はあるのであって、入ること、卒業すること、そのことに価値はないんだという、このような気持を、あまり仰々しい式をやらないということの中に、私は含めているつもりなのです。

私の考えるすばらしい青年像

 昨年もこの席上で少しお話しをしたのですが、毎年三月になると、本学から若干の諸君が退学をしてゆきます。退学する学生から退学届が提出されますがそれには退学の理由が書いてあります。私は、提出される退学の書類を逐一見るんですけれと、中には、非常にそっけなく、家庭の事情、と書いてあるのもあります。家事の都合とかさまざまあります。

 しかし、中には気持をこめて、丁寧に、熱心に退学の事情を訴えている退学届もあります。今日はその中の一部を持ってきてみました。本学に二年間在学し、この三月に退学した女子学生です。退学する理由――私が大学に進学した理由は、肩書きのためでも何んでもありません。ただ、人間としてもっと学ぶべきものがあるような気がして、広い意味で教養を身につけたくて本学に入学しました。けれども、今、自分の進むべき道がはっきりしました。ですから、専門の方へ行って、自分のやりたいことを一生懸命やろうと思います。人生の中で最も大切なこの一時期を憧れの学園で過ごしたことを誇りに思っております。この学園で得たものを大切にして、専門で学びたいと思います。――このような退学届を出している学生がおります。

 ここで専門と言っておりますのは、たぶん、本学では学び得ない専門の方向をこれから生涯の仕事としてやろうという決心がついたということを意味していると思います。そこで、そういう勉強のできるところへ行って勉強しよう、大学へ行くつもりなのか、あるいは各種学校へ入るつもりなのか、どこか職場に入って自己の専門を磨いてゆくつもりなのか、そこまではわかりません。機会があったら聞いてみたいと思っております。が、このようにして退学してゆく学生がおります。この学生は大学生としてよろしくない学生でしょうか。せっかく入って、途中でやめるなんていうのはけしからん、と言うべきでしょうか。

 私はこういう青年は模範的な青年であろうと思っております。最も良き大学生であろうと思っているのです。格別勉強もせずに、試験間際になると先生方のところへ泣きついたりして、どうにかこうにか百何十単位かの単位をかせいで、そして、卒業証書を手にして、卒業しました、と言って有頂天になっている青年から見ますと、これはすばらしい青年であると言うべきであろうと思うのです。私は、本学の学生の中から、このような中途退学者が続々出て来ることを、実は期待しているのです。必ずしも卒業してくれることを期待してはおりません。あまり続々出られると、授業料納入が減って大学が困るかも和れません。私立大学ですからね。しかし、気持の上ではそう思っているのです。

大学は教師である

 諸君の中には、何をしていいのかわからない、という諸君がかなりいるだろうと思います。高等学校を卒業して、自分はこれからどうしようか、と迷っている諸君がかなりあるのではないか、一方には、高等学校段階の学習生活で、かなりはっきりと自分の進むべき道を見極めている諸君もめるようです。その見極めの上に立って和光大学を志願したという諸君もあるようです。

 ある年度に入った諸君の中には、和光大学のある教師、ある一人の教師を目ざして入ってきている青年もあるようです。今年の諸君の中にもあるかも知れません。高等学校の先生に進学の相談をする時に、お前の志望は何んだと聞かれて、こういうことをやりたいと答えると、それなら〇〇大学の〇〇先生と、若干の教師の名前をあげて、その先生についてみっちり鍛えてもらったらどうか、というように勧められて、それでその先生のいる大学を選んだという青年があります。これは、大学の選び方としては最もすぐれた、最も立派な選び万だろうと私は思っております。

 大学は建物ではないのです。大学は教師なのです。私はそういう諸君は立派だと思いますが、はっきりした方向を持たないで、漠然と入ってきた諸君が、これから本学でしなければならないことは何んであろうか、というならば、自分の行くべき方向を模索し、発見するということ、そして、それが見つかったら、自分の方向で自分を鍛えてくれるような教師を探すということ、その教師に胸を貸してもらうということ、それが、模索の段階にある諸君のしなければならない第一の仕事だろうと思うわけであります。

大学には自由がある

 そこで、大学の自由についてであります。諸君が今まで学んでまいりました高等学校以下の学校というのは、中にはかなり自由な空気の漂っている学園もありますが、一般的に申しますと、例えば、高等学校で学習しなければならないことはどこかできちんと決められてしまっている、若干の選択の余裕はあるけれども殆んどカリキュラムの大部分はどこかで決められてしまっている。それを諸君は押しつけられて、何と何と何とを毎週、何時間ずつ学習すべし、というような規則の中にはめこまれてしまって、そこから抜け出すことは出来ないという状況の中で、学習をしてきただろうと思います。学習の面だけでなく、その他の面でもかなりの拘束があって、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、酒をのんではいけない、たぱこをすってはいけない、中には制服というのがあり、制服以外の服装をしていると処前を受けるというような高等学校もありますね、実におかしなものだと思いますけれど、そういう制服という形で服装まで拘束し、制限をするというような高等学校が、現在、まだ沢山残っている。

 そういう中で、いわば自由なき学習生活を強いられてきた諸君が多いのではないだろうかと思うのです。そんなやりかたは、別に大学でなくても、高等学校であっても、いけないと私は思っておりますが、大学はそれをしないということにまず一つの特色といいますか、本質がある、というように、一般にいわれております。

 大学というところには、学生にとって、学習の自由というものがある。教師には研究の自由というものが保障されていなければならない。それでなければ大学とはいえない、というのが、世界の大学の歴史の中で一応成り立っている一つの伝統的な考え方であると申し上げていいかも知れません。我が国の場合には残念ながらそういう考え方は、多くの大学で完全には実現されていない、というのが実情であります。特に技術系の大学では、そういうことをしていたのでは実力がつかないというわけでやはり罐詰め主義の教育をしている学校もありますが、大学というところはそういうものではなく、教師には研究の自由を、学生には学習の自由を、というのが大学の一つの本質でなければならないというように考えられてきているし、私たちも考えております。

 だから、そんな自由なやり方ではやってゆけない技術系の教育をやる高等教育機関は「大学」ではない。それは「大学」とはちがった学校だということに、ヨーロッパあたりではなっているのです。つまり専門学校です。

 大学には自由があるが専門学校には自由はない、というのが永い間の伝統です。わが国でも終戦まではそうでしたが戦後この区別をやめてしまいました。やめたことはいいけれども、専門学校が大学化するのではなくて大学が専門学校化する傾向が出ております。そのなかで和光大学はあくまでも、「大学」でありたいと念願している大学だと私は考えております。

 そうは言ってももちろん、現在の制度の中では、大学を卒業する、卒業証書、課程終了証書をもらうということが、さきほど申しましたように、一つの、諸君がこれから社会に生きてゆくための、若干の特権を伴ったパスポートとして作用しておりますし、そして、大学を出た諸君と出ない諸君との間に、種々の差別が現存しております。俸給とか、その他の点においても。そのような制度が存続している限り、その資格を取って、差別の中において特権を利用してゆくということになりますと、その特権は、そうやたらに与えるべきものではないでしょうから、卒業するためには若干の拘束があります。

 あるいはいろいろな資格を取るためにも若干の拘束があります。その拘束は社会的拘束でありますから、例えば、医者になろうとする者がでたらめな勉強をして、満足な勉強もしないで、もし外科医なら、手術をした後にピンセットをおなかの中に忘れてくるような、そのような医者になられては困りますね。ちゃんとした医者になってもらわなければ、これは社会的に困ることですから。その意味では、諸君がある資格を取ろうとするならば、それに必要な拘束については厳しく拘束をしてゆくということは大学の社会的責任として当然のことであります。

 そのことと大学の自由とは別であります。例えば、卒業するためには一二四単位以上の単位をきちんと履修しておく必要があるということは、これは社会的拘束ですね。しかし、卒業しなければならないということはない、それは諸君のまったく自由であります。従って、本質的には諸君がこの大学で何を学ぶかということは、最終的には諸君自身の自己決定にまつべきものであって、大学は何ごとも諸君に強制はしない。諸君の学習内容については何ごとも強制しない、ただ卒業証書を手にしようというならば、若干の拘束はやむを得ない、その拘束も、出来るだけ幅の広い、自由な学習科目の選択が諸君自身に出来るようにしてゆこうというような配慮は本学ではなされております。

 勉強してもしなくても誰れも文句をいわない、教師が注意することも殆んどないでしょう。このような状況の中で、学習の自由という原則を諸君自身が主体的に、どう生かすかということが実は、諸君がこの四年間をいかに意味深く過ごすか、あるいはそうでなく過ごすかの決定的な分かれめになるだろうと私は思います。

 あまりに自由すぎて何をしていいのかわからない、もう少し拘束をしてくれた方がいいなという声も、在学生の諸君の中からも若干あるようです。自由をもてあますというわけでしょうね。そういう諸君も中にはあるようです。始めはそんなことになるかも知れませんが、その諸君の学習の目的というものを、諸君自身、個人にとって、主体的により意味のある、より価値のある仕粗として生かしてゆく工夫と努力と、場合によっては教師に相談をするというようなことが、これからの大学生活を諸君が進めて行く上で一番大事なことであろうと思います。

親の拘束から離れよ

 諸君は高等学校までかなり厳しい拘束の中におりましたでしょう。また多くの諸君は家庭で、両親のもとで育ってきた、まあ諸君の中には、東京、あるいは横浜に住んでおり自宅から通っている諸君がかなり沢山あるようですけれど、ヨーロッパの大学の中にはこういう考え方がある。

 大学の学生は自分の家から通うというのは具合が悪い、大学の学生は家を離れて、独立して生活するということが望ましい、これは大学の本質を生かすための重要な一つのめじるしであるというような議論をする人があります。

 有名な哲学者のフィヒテなどもそうですね。東京の人は地方へ行って勉強しなさい、地方の人は東京へ出て来て勉強しなさい、親もとから通って来るということは望ましくない、こういう考えですね。

 それまで若い諸君は両親のもとで、いわば両親の拘束のもとで生きてきた、中には両親の拘束に対して抵抗した諸君もあるかも知れない。しかし、まあ親子げんかをしながらなんとか妥協して家庭で生活をしてきた、親に対する不満を持っている人もあるでしょう、あるいは感謝の念を抱いている人もあるでしょう。家庭はさまざまですから、家庭がすべて悪いなどということは絶対に私は申しませんけれど、とにかく、ちかごろの言葉を使えば、乳離れをすべきだということですね。親から離れて独立して生きてみるということが、この青年期においては最も大事なことなんだ、こういうことが大学の一つの本質であるという考え方があるわけです。

 しかし、その場合にも諸君の中には厳しいご家庭もあって、東京に出てくることに対してご両親が反対なさったという家庭もあるかも知れませんね、東京に出しておくのは大変に心配だというので、東京に出てくることを反対された家庭もあるいはあるかも知れません。まあそれでも本人が言うから仕方がないと言って出してあげたけれど、いろいろと心配していらっしゃる家庭もあるかも知れません。親の拘束から離れるということは、いわば羽を伸ばして、一種の解放感に浸ってわがままをするということではないのです。

 解放ということは自由の第一歩ではあります。拘束から解放されるということは自由の第一歩でありますが、その解放だけでは、本当の自由は成り立たないのです。親の拘束から解放されるということは、自分で自己を拘束するそういう規律、自己規律というもので今後は生きてゆくという決心を伴っていなければならない筈であります。

 その意味で、大学が諸君の学習を拘束しないということは、裏を返しますと、諸君自身が自らの決意によって、自ら選択をし、自ら自己を拘束する、自己を規律するということを期待しているということにほかならないのです。

 この自由を単なる解放として、自分は親から解放された、大学もまた自分を拘束しないというので、いい気になって自己を台なしにしたり、自己を破滅させたり、自己を空虚なものにしてしまったりというようなことにならないように、解放が同時に自己規制、自己規律、自己啓発を意味するということを念頭において、これからの学生生活を過ごして欲しいというように、私は期待をいたします。

哲学することを学べ

 第二は、大学は哲学することを学ぶ場所でなければならないだろうということであります。こういう言い方をしますのは、今、日本の大学では文学部の中に哲学科という学科があります。歴史学料、社会学科等さまざまな学科に並んで哲学科という学科があります。そういう意味での哲学科の学生に、みんながなれというのではありません。

 医学部に学んでいる諸君も哲学をする必要がある。工学部に学んでいる諸君も哲学する必要がある、ということを言いたいのです。その場合の、哲学するということは、基本的な事柄、最も根本的な事柄を突き詰めて考えるという、平たく言えばそういうことです。他の側面から申しますと、今、日本の大学と称している施設の中には、実にさまざまなものがあります。農学部あり、工学部あり、医学部あり、歯学部あり、その他各種の実技を教える大学があります。裁縫を教える大学、料理を教える大学。理髪の大学はまだないようですが、これも各種学校にはあります。各種学校と称する、大学レベルの学校まで目を拡げますと、非常に沢山の、いわゆる技能を訓練する学校があります。

 ところで、これもヨーロッパの伝統ですけれど、例えばソヴィエトへ行きますと、モスクワ大学があります。日本語で大学と訳している、ウニヴェルシテートといいますが、英語のユニヴァーシティですね、ここには、医学部がありません。工学部、農学部もありません。

 前にも申したようにこのような技術系の学問は大学の外にあるのです。これは、私が大学とは哲学するところであるということを具体的に象徴している一つの制度上の形だといっていいかも知れません。

 例えば、ソヴィニトのグルジャーに工業技術の教育をする大学レベルの学校があります。日本ではグルジャー工業大学と呼んでおりますが、向こうの言葉ではインスティチュートと言っており、ユニヴァーシティとは申しません。技術を教える学校はインスティチュート、技術の基本になるような学問を学習するところはユニヴァーシティというように、非泊にはっきりした区別が伝統的になっております。大学は基本的なことを徹底的に突き詰めて考える境所なんだ、すぐに役立つ技能を訓練してすぐ使いものになるといった人間を育てるところではないんだといった考え方、これも伝統的にある、大学についての考え方なのです。

 もちろん、技術や技能に関することを全く無視するということは出来ませんが、仮りに、工学部というものがあるとしても、その工学部の学生は単なるエンジニアであってはいけないだろう。

専門バカになるな

 私がいつもする話ですが、日本にたった二人しかいないノーベル賞学者の一人、自然科学におけるただ二人のノーベル賞学者の一人であります朝永振一郎という人がおります。教育大学の同僚ですから親しくしておりますが、その朝永氏が日本学術会議の会長をしておりました略に、学術会議主催の講演会でこういう話をしました。私は長年、野原で火遊びをしていた、というのです。ということは、彼は新しい火を探していた、原子の火を探していたということですが、それに夢中になっていた、子供が野原で火遊びをしているのと全く同じで、そのこと自体が面白くて、楽しくて、それがどこで何んの役にたつかたんていうことば全く頭になかった。ただ新しい何かを発見する楽しみに多中になって、いってみれば火遊びをしていた.ところが、その火遊びの結果出てきた新しい火が、人類を大量に虐殺するといったようなものになって使用されてきたという事実を見て僕は驚いた。

 これは火遊びばかりしているわけにはいかん、火遊びをしてきた人間として、この火事を防がなければならたい、これを防ぐ責任がある、ということを痛感した。それから、パグウォッシュの科学者会議などに彼が出席するようになりますが、それから、私は社会についての学問、社会の歴史についての学問、政治についての学問をどうしてもしなければならないということを感じた、ただの物理学者、ただの火遊びをしているような物理学者であってはならないということを痛感した。

 それから私の大学生生活が始まった、学生ではないけれど、大学で教えている一般教育といったものに深い関心を持つようになった。社会に関する哲学というものを学ぶ必要があるということを、自分は痛感するに至った。というこういうお話をある講演会で彼がしたことがありました。

 その講演会では彼の前に私も一席受け持って講演をしたのですが、彼の話は、私にとって非常に印象的でありました。仮りに大学で科学を字び、技術を学ぶにしても、それがどのように人類のために生かされるめか、生かされないのかといった問題についても、深い識見、深い思索というものを持たないならば、その学問は、一部の学生諸君がいっているように、いわゆる専門バカとして社会に害毒を及ぼす結果をもたらすかも知れない。そこに自由に研究する諸君の一つの社会的な責任があるであろうということであります。その社会的責任を十分に生かすためには、やはり、物ごとの根本まで立ち返って、深く考えてみる、人生について、社会について突き詰めて考えてみるというような、そういう思索、研究をする必要があるだろうと思うのです。

 人生の根本を問い直してみる、問いただしてみる、そういうことを、私は哲学するという言葉でいいあらわしているめです。そのようなこともありまして、本学の場合には、技術系といわれるような、あるいは技能教育といわれるような系列の学問分野は比較的希薄であります。

 基礎学的な分野が濃厚に置かれているといってよろしいだろうと思います。そのような教師の講義を参考にしながら、自分で物ごとの本質を突き詰めてみる、徹底的に突き詰めてみる、あるいは友達との話合いの中で突き詰めてみるといったような、個人として、あるいは集団として、哲学することを学ぶ、深く考えてみるという経験をここで積んでいただくということが、私は諸君の年齢にこそ一番必要であり、また可能な時期であろうと思っております。

 さまざまな技能を学ぶことは、生きてゆくために、今日の世の中では大変必要でありまし上う。何か腕に覚えないと食べて行けないということもあります。ですから、すぐに役に立つ技能を諸君が身につけるということを私は否定はいたしません。むしろおすすめしたいくらいです。しかし、それは本学では学べない仕組になっております。

 本学は基礎的な学問、基礎的な研究をしていく場所として考えておりますから、それこそが大学だというように考えておりますから、本学では残念ながらそういうことは出来ない仕組になっております。例えば、観光会社に勤めて、外国人の観光客の案内係をしよう、ペラペラと通訳が出来るような、そういう通訳になろうという諸君には、本学の英文学料はあまり適当ではありません。それをやろうとする人は、各種学校が沢山ありますから、通訳養成各種学校が昼、夜間とも沢山ありますから、そこへ行って勉強することです。二重学籍でよろしい、昼間は和光大学へ、夜ほどこかのLL教室へというわけで、それぞれ自分がやってみようという技能があったら、すぐれた各種学校が沢山ありますから、そこを利用することです。

 私は各種学校を否定もしなければ軽蔑もしないのです。優秀な技術者が揃った、徹底的に訓練をしてくれるすぐれた各種学校がありますから、そういうところを利用して、やはり腕に何か技術をつけるということは、むしろよろしい、奨励したい位です。しかし、それっきりの技術者になってほしくない、それだけの人間になってもらいたくないということを、私は申し上げたい。

 そういう意味で、大学は哲学する場所であり、哲学することを学ぶことが、諸君にとって非常に大事なことであろうということを申し上げているわけであります。

知識人としての責任

 第三は、すでに、今申し上げましたこととつながったことでありますし、さきほどの朝永氏のお話ともつながったことでありますが、いわゆるアカデミズムという言葉があります。学問というのは、すぐに役に立つことを必ずしもやる必要はないのだ、役に立つか、役に立たないのかわからない、けれども単に知的な学問的な興味で、一生懸命にやっている、それでいいだろう、という考え方がずっと伝統的にあります。アカデミズムですね、朝永氏のお話はそれに対する一つの疑惑を端的に示したものと申してよろしいと思いますが、諸君が自由であるということは、同時に私は、諸君がやはり社会的に一つの責任を負うべきであろうということを意味しているのではないかと思うのです。

 今日の大学生はさきほども申しましたように非常に数が多くなっております。かつては一万分の一のエリートであったのが、現在ではだいたい五分の一のエリートですね。諸君を仮にエリートというならば。青年期の、諸君と同一年齢の諸君の約五分の一が大学というところへ入っております。これを大学の大衆化と申しておりますが、しかし、五分の一のエリートは、やはり一段と高い思索をし、一段と高い学問をしてきた人間として、社会に必要な知性の提供者であり、リーダーであるという役割を背負っているだろうと思うのです。

 今、日本中を覆っている公害問題等、種々の社会的な問題をめぐって市民運動が展開されております。市民運動というのは素人の運動なんです。専門家の運動ではありません。しかし、公害問題について市民運動を展開するとなると、その市民運動は一つの学習運動にならざるを得ない。

 何故公害が起こるのか、どうしたらこれを妨げるのかといった問題を、自然科学的にも、社会科学的にも、さまざまな角度から勉強しなければ、市民運動は市民運動になってゆかない。そうすると、大衆の中にその勉強のリーダーがいなければ市民運動は充実したものとしては成長してゆかない。

 東京大学の研究室に閉じこもり、一年中その研究室から一歩も出ないというような人達だけが学者であり、大衆は無学文盲であるということでは、市民運動は成長いたしません。大衆の中に知性的なりーダーが沢山いる、極端にいうならば、皆んなが知性的なりーダーになってしまうということが、実は社会の進歩を意味するだろうと思うのです。

 そういう意味で、日本の社会を、あるいは世界を良くするために諸君は、やはりさきほど申したような、科学的労働者と申しますか、あるいは専門的服務者と申しますか、自分の研究した学問なり知性なり知識というものを持って、日本の社会の進歩のために動くということ、そういう社会的責任を背負った学生、青年、あるいは知性人、知識人として、諸君が大学の門を出て行ってくれることが、実は社会が諸君に期待している最も大きな期待ではないかと、私は思うのです。その意味で私は、そのための基礎的な教養を、諸君が身につけてくれることを期待しております。

自己の可能性を信じよ

 あとわずかの時間を使いまして、ごく具体的なアドバイスのようなものをつけ加えてお話をしておきたいと思います。

 諸君は中学校、高等学校と経過してきて、中には、高等学校の成績があまりよくなくて一流大学には入れない、和光位なら入れるかも知れないから、和光を受けてみようかというので、受験したら入れたから、まあそこで辛抱しようかというような気持で入ってきたという諸君もあると思うんです。あって結構ですが、その場合に、オレはダメな人間だと考えないこと、それを私はアドバイスしたいのです。

 高等学校式の教育で優等生である人間が必ずしもいい人間ではないという証拠が沢山ありますからね、芸術大学の入学試験に落ちて和光大学に入ったという人もありましょうが、その和光大学の学生は芸術大学から一人も通らなかったという大きな展覧会に何人も入選しているという例もあるんです。

 決して、オレはダメな人間だなどという自己卑下をしないこと、自己の可能性を信ずるということですね。そのことを諸君にすすめておきたい。劣等感など拭き払ってしまえということですね。

 高等学校は人間にくだらない知識で優劣をつけますからね、ああいう勉強で劣をつけられた人間が決して劣等な人間ではないんだということを、諸君は自信を持って信じていいだろうと私は思うのです。

 しかし、その可能性は手放しでは開花いたしません。その可能性は試してみなければ出てこないのです。試してみるということは、何かにぶつかってみるということです。何かにぶつかって試してみるということなしには、その可能性は花を開かないものだということ、その意味で、課外活動でもよろしい、勉強でもいい、何か面白そうだと思ったら、それに食いついてぶつかって、とことんまずそれをやってみるというような、そういうチャレンジする学習経験をやってみるということが、私は、自己を託す大事な経験であろうと思うのです。

 入った当初からそのつもりでやってみて下さい。本学ではあまり試験をいたしません。レポートによって評価するということが一般的に行なわれております。レポート大学と批評されております。レポートが課されたら、全部のレポートに本気で取り組んでやっていくということは大変でしょうから、あるレポートは息を抜いて然るべく提出するということはやむを得ないかも知れないが、少なくとも一年に提出するレポートのうちどれか一つや二つは、本気になって食いついてみる、徹底的にやってみるというような経験、それで自分の可能性を試してみるということが、諸君の学生生活では非常に大切なことであろうと思います。

 すべてのレポートを一生懸命やりなさいなどと物分かりの悪いことは、私は申しません。といっても悪いレポートは落第させられますから、適当なところまでは書かなければなりませんけれど。一つだけは本気になって食いついてみるというような経験が非常に大事だろうということを申し上げておきたい。

 そうなりますと、何をやるかということが問題ですけれど。非常に沢山の学科目が開講されております。他の学科からも聴こうと思えば聴けるようになっております。まず、どういう講義を聴くかということが、これからのオリエンテーションの時期から四月五月にかけての一番大事な一つのポイントだろうと思います。

 さきほど申しましたように、上から何物も授けられない、何々を勉強するようにとは誰れも強制しない、殆んど大部分の学科についてはそうなっております。その中で何をやるか、選択の自由、その自由をいかに諸君が賢明に行使するかが、特に入学当初の大事なことですから、わからなかったら指導の教師に卒直に聞いてみて、自分の方向を述べながら、どういう勉強をしたらよろしいかということを相談して、賢明な学習プランを、諸君自身が立てるということが、入学当初一番大事なことであろうということを申し上げておきたい。

教師を選べ

 それに関連して、私はやはり、教師を選びなさいということを申し上げたい。これも制約があって、諸君が完全に、教師を選ぶということは、仕組の上からなかなか難しく、若干のあてがいもあります。クラスがあって、機械的にクラスが編成されて、そのクラスには教師が割り当てられており、その教師の講義を聴かなければならないという部分もいくらかあります。完全に諸君が教師を選ぶというシステムにまではなり得ない状況がありますけれど、かなり大幅に、教師を選ぶ自由が、諸君にはある。

 面白そうな教師だと思ったら、そこへ行ってみることです。研究室がありますから、研究室へ行ってみることです。自宅へ押しかけても構いません。先生方にもいろいろ都合がおありだと思いますが、そのへんのことは、エチケットを守って然るべくやって下さい。大学の教師は諸君を教育するために俸給をもらっているんですから、ふんだんに利用すること、それには、個別的システムが一番いいですね、マンツーマンシステムですね、一人に限る必要はありません。何人かの教師と個人的な接触を濃厚にしていくということが、この種の大学では諸君のために非常に大事なことであろうということを申し上げておきたい。

 研究室を訪れて教師をつかまえて離さない、とことんまで話し込む、そういう根性がほしいですね、学長室にもおいで下さい。来客等の予定があり、門前払いをすることもあるかも知れませんが、あいている限り相手をいたします。

 教師を選びなさい、教師との個人的接触を大事にしなさいということを申し上げておきたい。そういう意味では、昔は徒弟制度というのがあって、一人の師匠のところへ入門して、徹底的に鍛えてもらうということが、昔の青年達の一般的な、法則的な成長の仕方でした。そのようなことは今日では非常に希薄になっている。

 歌舞伎とか活け花とかの世界には若干残っております。入門して鍛えてもらうということが残っておりますが、普通の学問の世界では殆んど希薄になっております。しかし諸君は単に大学という門の中に入っただけではなく大学の中で一人二人あるいは三人の教師に入門をする、大学一般に入るたけではなく、その中で更に、個人の教師に入門をして鍛えてもらうというような、そういう姿勢、そういう仕租みで大学生活を考えてみることがよろしいのではないかと私は思います。

 大学は卒業するためにあるというようにはなるべく考えないでほしいということはさきほど申し上げた通りであります。以上のことをアドバイスとして申し上げておきたいと思います。

なによりも自己を大切に

 最後に、諸君の手もとに渡っております資料の中に和光大学の教育方針というのがあります。その真ん中程に、第一回入学式における学長告辞というのがあります。その告辞の精神は、今日お話しましたことと基本的には変っていないと思います。最初の和光大学の教育方針に書かれておりますことも、基本的には変っていない筈でありますけれど、その後の経験で、さきほども申しましたように、実験大学ですから、先生方がいろいろ研究しながら、修正をしてゆき、改造をしてゆくという努力をされておりますから、現在の時点では、ここに書いてあります、具体的な問題、(3)の第一〜二年次の授業運営とコア・クラス制等々のことですね、そうした具体的なものにつきましては、ここ数年の間に若干の改善が行なわれております。あるいは修正が行なわれております。ですからここに書かれている通りにはなっておりません。

 これは、本日以後のオリエンテーションで詳しくそれぞれの係から説明されると思いますが、それで一度聞いただけではわからないと思いますが、あとはコア・クラス・ティーチャーなどからもよく聞いて、本学の仕組、本学のさまざまな方面での学習を中心とする仕組について十分に理解をしておく必要がある、よく知っておく必要がある。今までの高等学校の仕組とは全く違いますから、その仕組をよく理解したうえで、賢明な学習計画を諸君自身が各ゝで立ててゆくということに、ここしばらくは努力していただくことを特に期待をしておきたいと思います。

 そのようにして、途中で退学するもよし、四年間おるもよし、あるいは勉強不足だと思ったら五年、六年おるもよし、八年間は大丈夫ですから、ゆっくり勉強する人はゆっくり勉強して下さい。いくら慌てても四年間いなければ卒業証書は出しません。しかし、卒業証書などもらわなくても構わない、卒業証書がものを言う時代は去りつつありますから。

 なによりも自己を大事にし、自己を大事にするということは、社会を大事にするということにつながっているというような勉強をじっくりとしてもらうことを、私は諸君に期待をしております。質問もあるだろうと思いますが、あとの日程もあるようですから、今日はこれ位にしておきましょう。諸君のほうで希望があれば学長室などで、お話をしましょう。

(昭和四七年四月)