和光大学の教師たち

 和光大学通信の編集部が「和光大学の教師たち」という題で何か書けという。これはなかなかの難題である。何しろ私はそこの学長なんだから、自分の大学の教師諸君をあまりほめると手前みそ的宣伝と取られかわないし、だからといって、自分の大学の教師をみんなヘボ教師ばかりのようにやっつけるのも失礼だし、なかなか書きにくい。

 そこで逃げるわけでもないが、まず、和光の話にしないで、大学一般の教師ということで話をはじめてみようと思う。

 大学の教師は昔から学者がなるものだと誰もが考えてきたし、事実大学といえば全国でいくつか数えるだけしかない帝国大学や官立大学だけであとはみんな大学より格の低い専門学校だった時代の大学は、一流の学者ぞろいであった。しかし今日のように大学の数が多くなってしまうと、そうそう一流の学者ばかりをそろえるわけにはゆかないし、また今日の大学では昔とちがってドイツ語やフランス語などの初歩を教える、その点で中学校なみのコースもあるし、体育の実技も必修科目に入っているのだから、学者ばかりそろえなくてもいい。そんなわけで今日の大学は必ずしも学者でなければ勤まらないところではなくなっており、学者とは言えない人でも、けっこういい大学教師でありうる場合が少なくない。

 もちろん教える学科の種類にもよることであるけれども、学者であること、すぐれた学者であることが必ずしも大学教師の共通必須の資格条件ではないとするなら、それに代る共通必須の資格条件は何だろうか。昔はすぐれた学者でさえあれば、それだけでよい大学教師としての資格は十分であるとされたものであるが、すぐれた学者が必ずしもすぐれた教師でないことは、そうした学者に教えられたことのある多くの人たちが体験している事実であるにちがいない。人を教える人はその教えようとしている事柄について、達人でないまでも、少なくとも教えをうける者に比べれば格段に高い水準の知識なり技能なりを身につけている人でなければならないけれども、それではそのような知識や技能を身につけておりさえすれば、それでひとによく教えることができるかというと、そんなわけにはゆかない。少なくとも専門学科の教師であるためにはその専門分野についてのよき研究者であることが必要であるけれども、しかしそうでありさえすればただちによい大学教師になれるというわけのものではない。昔は大学教授というものは研究が本務で、学生を教えることはつけたりと考えられ、ほんとうは研究に専念したいのだが、そうは世間がさせてくれない、それでは飯が食えないからやむをえず教師の役目を引きうけるのだと考えている大学教師が多かった。いや今でもそう考えている大学教師が多いようである。

 しかし、私はそう考えてはならないと思っている。大学というところは高等学校に接続する教育の場であるから、そこには何よりも教育に関心をもち、人を教えてみたいと思う人が勤めるべきであり、従ってまた若い学生と人間的に接触することを好む人が大学に勤めるべきであり、そしてそのような大学教師は、単に専門の学者・研究者あるいは技術者として立派であるだけでなく、学生をどう教育したらいいかということ、教育とは一体何であり、どのような教育方法を用いればいいかということを、自分の教育実践に即して、たえず考えつづけ、探求しつづけている教師であるべきである。「教育のことは一向にしろうとで、何も分りません」といったことを平気で言う大学教師がおり、しかもそんな口振りの裏には、「おれは学者だから教育学だの教授法だのということは何も知らなくてもいいんだ」という自負心みたいなものがただよっている場合が多いが、かつて、そんな学者には大学教師の資格はないと、ドイツの大哲学者でベルリン大学の草創期の総長をやったフィヒテは言っている。

 フィヒテは、大学教師のやくめは、自分の知っている知識を学生に、ちょうど母親が自分の体内に貯蔵しておいた母乳を赤ん坊に吸わせるように、学生に伝達し、吸収させることではなくて、学生自身に学問研究の態度や方法を体得させ、学生の知的創造力を培うことであるとした。そしてこの学生の知的創造力を培うということは、しろうとにできることではなくて、専門的な方法によらなければできないことであるとした。たからそのためには大学の教師になろうとする者は、あらかじめ、この知的創造力の育成の方法について専門的な教養を積んでおく必要があるということを、その名著「ベルリン大学論」のなかで 力説しているのである。

 いまの日本の大学教師の最大の欠陥はこのような教育することへの関心や熱意が稀薄で、そしてフィヒテのいうような教育学的教養を欠いている点にあると私は思っている。

 さて、和光大学の教師だが、和光の教師たちの中にも、なるほど学者としては立派だが(学者としてもそうでない教師も中にはいるかも知れない)教育的関心や教育的知識・識見・手腕は乏しいという旧型の、学者タイプの教師が大部分を占めている、というのがいつわらざる現実であるかも知れない。それを、そうではなくて、みんな教育熱心で、教育学的識見に富んだ教師ばかりだなどと言ったら、うそになってしまうだろう。

 ただ私がいくらか自信をもって言えることは、和光大学が生まれて五年の間に、徐々にではあるが、学生を教育することに、職務上の義理をこえた興味や関心をもちはじめ、教育のありかたについて考えてみようとする教師が出てきて、そしてふえつつあるということである。

 それは一般社会の教育問題に関心をもつこともさることながら、自分の教えている授業のやり方についての探求や試行となってあらわれだしている。

 いま和光大学では、これらの、和光大学の慣用語を使うなら、「教育づいた」教師たちによって、さまざまの、教育方法についての探求がはじめられている。それは個人個人で、また数名の教師のチームワークで、また一学科を単位として、またある問題は全学的規模ですすめられている。

 そうした大学教育学的探求がよその大学では全然行なわれていないなどと言うつもりはない。

 ただよその大学に比べて、比較的に教育熱心な教師が多く、こうした教育学的探求が比較的熱心に行なわれている、というよりもそうした方向へ向っての波動があり、眼に見えぬ息吹きが感じられるところに、和光大学の教師群の、群としての長所があると言えるのではないかと、私はひそかに自負している。

 私は教師というしごとは、もしそれがすきでなかったら、やってはいけない職業だと思っている。ほかの職業ならいやいやながらやっていても自分にとってつまらないだけで、他人に迷惑を及ぼすことはあまりないが、教育の場合はそんな教師に教えられたら教わる方がとんだ迷惑を蒙るからである。幸いに和光大学ではだんだん教育の味をしめ、教育が好きになってゆく教師がふえつつあるように私には思われる。

(昭和四六年七月「和光大学通信」)