昭和四一年度入学式における学長告辞

学問の自由と学習の自由

はじめに

 諸君は本日からこの和光大学に入学し、大学生活という、諸君にとって全く新しい人生経験を始めることになりました。

 本学はご承知のように新設の大学であり、ご覧の通り建設の途上にある大学でありますので、当分の間、諸君にもいろいろの不便をかけることがあろうかと思いますし、その点で諸君の理解と協力を得たいと思っているのでありますが、また一方から申しますと、本日ここに集っている人たちは私をはじめ、教授諸先生も職員も学生諸君も、みんな新入生ばかりであり、この新入生たちによってこれから、新しい大学か創造されてゆくわけでありますから、そこには既存の、でき上った大学への入学とは全くちがった、有意義な経験が諸君を待っていると申せましょう。およそ一つの大きな創造のしごとに参画し、協力するということは、極めて意義の深い人生経験であり、しかもめったにめぐり合せることのできないものでありますが、幸に私たちは縁あってここに新しい大学を作るという一つの大きな創造活動にたずさわる機会を与えられたのであります。私はそのことに感謝し、教職員ならびに学生諸君と共に、この和光大学を、日本に数多い大学の中にあって、みずからの存在理由を、自信を以て主張しうるような、また社会もそれをはっきりと認めてくれるような、ユニークな大学に育て上げてゆきたいと念願しておるのであります。諸君もどうか、大学に入ったのではなく、大学づくりのしごとに加入したという気持ちで明日からの生活に立ち向っていただきたいと思います。

 それでは一体ここにどんな大学を作ろうというのか。それは、それ自体これからみんなで考え探求してゆくべき共同の課題でありますが、いささか提案の意味をこめて、私自身のヴィジョンの一端をお話してみたいと思います。

自由な研究の共同体としての大学

 大学は自由な研究と学習の共同体でなければならないと言われております。そして私の和光大学についてのヴィジョンも端的に言えば、この極めて当り前な大学の理念を誠実に実現してゆくことに外なりません。ところでこの「自由な研究と学習の共同体」という観念を、「自由な研究の共同体」と「自由な学習の共同体」という二つの側面に分けて考えることは本来両者は、不離一体のものでありますから、いささか機械的で、事がらの本質を明らかにするのに十分適切な仕方ではありませんが、便宜上この二側面に分けて少しお話をしてみたいと思います。

 まず大学は学問の自由という理念に基礎づけられた、研究者の集団であり、そこで、自由で創造的な学術の研究が、共同して行われているということを、第一義的な存在理由とするものであります。大学は単なる教育機関ではなく、まず第一に研究機関でなければなりません。しかも自由で創造的で、単なる目先の実利実用への直接の功利性にのみ局蹐しない基礎的な研究が、活発に、共同して行われている場所でなければなりません。日本の大学史上で、このことを最も熱心に説かれたのは、三十年の歴史をもつわが学校法人和光学園がその建学の始祖として仰いで参り、そしていま和光大学の開学に当って、その胸像を学長室に飾っております沢柳政太郎先生でありました。先生は若くして東北帝国大学の初代総代としてその創立の事に当られましたが、先生の大学作りの最大の重点はすぐれた学者、埋もれた学者をそこに集めることであり、内外にわたってそのような学者をさがし求め、草の根をわけて将来性のある、埋もれた研究者をさがし求められました。若きアインシュタインにも眼をつけ話を持ちかけられ、今少しで彼の来日がまとまるところまでこぎつけられました。この交渉は結局ベルリン大学にさらって行かれた為に不調に終りましたが、もし彼が沢柳先生の招きに応じて東北大学に来ていたら、日本の物理学はもっともっとすばらしい発展を見せていたかも知れません。

 私は和光大学の創立準備のしごとを引きうけた時から、ずっと、この半世紀あまり前の東北大学の創立の際における沢柳先生の大学作りのやり方を頭に浮べながら仕事を進めて参りました。そして幸いにも多くの各方面の著名な一流の学者と、学界でその将来を属目されている若き研究者の方々が、和光大学はまず以て活発な研究の場でありたいという、沢柳先生の、そしてまた私たちの考えに共鳴していただいて、喜んで和光大学に馳せ参じて下さいました。こうして和光大学は小さい大学ではありますが、その教授陣においては日本一流の大学であると、自他共に許すほどの大学として出発することができることになったのです。この方々が、これから和光大学という新しい研究者の共同体を作って、日本の学界、いや世界の学界に重きをなすような研究業績をぞくぞくと生み出して下さることは、私の最大の楽しみであり、また最大の期待であります。諸君もまた大学がこのような研究者の集団であり、研究の場であることを自覚し、本学の先生がたの研究活動を見守り、それを誇りにし、大切にしていただきたいし、またそのような場所にふさわしい環境と学風を作り上げてゆくことに協力していただきたいのです。

 次に大学のいま一つの本質ともいうべき、自由な学習の共同体ということについて少しく考えてみたいと思います。

学習の自由

 大学の本質は学習の自由、レルンフライハイトにあると言われております。私は初めに諸君は今日から全く新しい人生経験に踏み出すのだと申しましたが、この全く新しいという表現はやや誇張にすぎるかも知れませんが、この新しさの重要な一契機は、まさに「学習の自由」にあるのです。この点において大学は高等学校以下の学校とは全くちがう存在であると、昔から言われて来ているのです。私はこの学習の自由の理念を、和光大学において実現してゆきたいと念じております。これが私の第二のヴィジョンであります。

 では学習の自由とは一体どんなことでありましょうか。今から百五十年前に近代的大学の範となったベルリン大学が創立されるに当って、大学の理念を説きつつ、まさに創立されようとしているベルリン大学のヴィジョンを語ったシュライエルマッヘルは、このことについて次のように申しております。「大学の学生はこれまで彼等が学んで来た学校とはちがって、学習に関して何等の強制もうけない。彼等はどこに行け、ここに行けと命令されることはない。また行ってはならないと禁じられるところは一つもない。誰も彼等に向って、この授業時間、あの講義に出席せよと命令する者はない。彼等が学業をサボっても、また学業を放棄しても、誰も文句を言う者はいない」というのです。これが大学の理念であり、本質であり、高等学校以下の学校とちがうところなのです。

 このようなことを申しますと、学生諸君の中には、それはありがたい、一つ大いにサボってやろうと思う人もあるかも知れませんし、お父さんやお母さん方の中には逆に、これはとんでもない大学に子供を入れてしまったと後悔される方もあるかも知れませんが、この学習の自由という理念は、まさしくそのような放縦と怠慢への可能性をはらんでおるものであります。これは自由一般について言えることでありまして、自由は常に愚しき自由への転落の可能性と危険をはらんでいるものと言えましょう。そのような危険を冒しつつ、あえて自由を生活の原理としてかかげることは一つの冒険とも言えますが、もし大学というところでその冒険が成功しないとしたら、一体どこでそれは成功するでありましょうか。大学がもし理性の場であり、知性の温床であろうとするなら、そこでこそ、この冒険が試みられるべきだというのが、「学習の自由」の理念だと申してもよろしいでありましょう。

 ところで、自由な学習の場としての大学にはいささか歴史があります。今日私どもが「大学」とよんでいるものは、ヨーロッパに生れたユニヴァーシティの伝統の上に立っているものと言っていいのでありますが、そのユニヴァーシティは諸君も知っているように、今から七、八百年前にイタリーのボロニアや、フランスのパリに生れたものであり、その頃そこに群がり集まった多くの学者と学生の群れに始まるものでありますが、その当時は町のあちらこちらで学者たちが講義を開いており、学生たちはめいめい思い思いに自分の聴きたいと思う学者の談義をきいておりました。卒業だの、単位制度だの、試験だのというものもなく、学生は自分のききたいだけの講義をきいて、何年かたって、もう聴く必要を感ずる講義はなくなったと思えば、そこで学習を打ち切って、その町を去ったり、そこで職業についたりするのです。この状況が、「学習の自由」という理念の歴史的起源なのであります。この時代はご承知のように長い封建社会の体制が崩壊しはじめ、新しい市民社会が生れようとした時代であり、それに呼応して新しい学問が生れつつあった時代でありましたから、青年たちはその新しい学問を学んで新しい社会に生きようとして、海をこえ、アルプスの山をこえて、遠くボロニアやパリに集って来たのです。そのような学に志す若人たち、青雲の志にもえた青年たちが全く自主的に、自由に己れの学ばんと欲する学問を、学ばんと欲する教師について学びたいだけ学んだわけであります。そのような事態に大学の起源があったということは、私どもが今日のわが国の大学のあり方を考える上でも極めて重要なことがらでありましょう。即ち大学は基本的には、みずから学問修業に志す人たちの自発的な集団であって、その志なき者の来るべきところではないのです。しかもそれは形式的な資格や学歴を超越して、みずからの内面的な知的要求を満足させることを目的として集った人びとの集団であるべきなのです。

 大学はその起源の第一歩においてこのような、高い意味での「学習の自由」の場であったのであって、私はわれわれの大学も基本的にはこのようなものでなければならないと考えております。しかしその内に学位という制度が生れ、一定の知的職業につくためには何々学士、何々博士という学位を持っていなければならないことになりました。そうなるとこの学位には社会的特権がついておりますから、学位を取るためには一定の学問分野について十分に勉強した上で、厳格な試験をうけてパスしなければならないという制度が生れたのです。これは当然のことであります。そしてこの学位試験はその頃のギルドの親方試験が一般にそうであったように、極めて厳格なものでありましたから、なかなか容易には取れないものであり、中には十年も二十年も学生生活をつづけて、なお学位試験にパスしない学生がありましたし、途中で断念する者も少くありませんでした。中国の昔の科挙に老学生、老受験生かいたのと同じであります。この資格試験のためのきびしい勉強の場としての大学、それが大学の第二の側面となったのです。

 この資格をとるための勉強は、いわゆるガリ勉を必要とする面もあり、好き嫌いにかかわらず定められた科目を履修して、厳格な試験にパスしなければなりませんから、決して自由な学習などと言えるものではありませんが、しかし大学に入ったら必ずそのような資格試験を受けなければならないというのではなく、それを受けるか否かは全く本人の自由であったわけで、現に十六世紀ごろのオクスフォードやケンブリッヂでは学生数は数千に上っていたのに、マスターの資格をパスした者は毎年数十人にすぎない状況でありました。資格を必要とする者は、規格通りの勉強をして厳格な試験をパスしなければならないが、それは本人の自由意志によることであって、何人も資格試験を受けることを強制はしない、これが、学習の自由の第二の形態であったのです。この意味の学習の自由もまた、私どもが今日うけつぎ、守ってゆくべき原則ではないでしょうか。

 大学の歴史をいま少したどってみますと、十六世紀ごろから、大学には、最初に申しました資格や免状を抜きにして、ほんとうに自分の学びたいことを学びたいだけ学んでゆこうという学生と、資格をとるためにやって来て、いわゆるガリ勉をして、資格をとったり、とりそこなったりした学生の外に、大学という組織をかくれみのにして、そこを貴族的な社交とレジャーの場としようとする青年たちが集ってくるようになりました。そしてそこに、諸君がいくらか知っているはずの、カレッジライフの一面としての、多彩なスポーツやクラブ活動や社交やそして時として頽廃的な逸楽の生活が展開されるようになったのであります。そしてそれもまた、大学の自由、学習の自由の名でよばれたのであります。この自由には特に悪しき自由への転落の危険がありますが、しかしそれが善用されるなら、それはまた大学の重要な機能となりうるものであったのです。

和光大学のヴィジョン

 こうして大学には三通りの学生が集り、三様の学生生活が展開されるようになりました。そしてこの三つの側面は今日にまで引きつがれているのです。さて、私どもの和光大学でも、この三通りの学生生活か展開されることになるであろうと想像されましょうが、その場合、その何れの面を基本的、本質的なものとして自覚するか、ということが最も大切な点であります。今日のわが国の大学では、第二の側面と第三の側面がきわ立っていて、第一の側面が忘れられ、失われてゆく傾向があるのではないでしょうか。大学は単位をかせいで、卒業証書というパスポートを、なるべく骨を折らないで手軽に手に入れる場所、そして他人がせっせと働いている時間に、悠々とレジャーを楽しむことの出来る場所と、学生も世間も考えているのではないでしょうか。

 私が「学習の自由」という理念を本学のヴィジョンとして考えたいというのは、そのような大学でなしに、第一にあげました側面を大切にし、それを基調としたいということであり、第二の資格取得のための、拘束性の強い勉強も、そして第三の大学生生活の享楽もこの基調の上に位置づけられ、それぞれその所を得調和を保って営まれるようにしたいということであります。

 このような趣旨から和光大学では、まず諸君に第一の意味での「自由な学習」ができるように配慮してゆきたいと考えております。諸君が必要と、欲するであろうと考えられ、また諸君に学習をすすめたいと思う講義や演習をできるだけ豊富に提供したいと考えております。一般の大学とちがって自由選択科目の幅が大幅にとってあり、自由にいろいろの科目が選択履修できるようにしようとしております。

 しかしそのようにして提供された学習の機会をどう利用するか、また利用するか否かは、専ら諸君の自由と自主的判断にゆだねられております。

 こうして諸君にその学習の機会を提供されている科目は、何れもやすやすと、履修できるものではないはずです。それはちょうどアルプス連峰、あるいはヒマラヤ連峰のようなものでありましょう。諸君が本学に入ったということは、ヒマラヤ登山を決意したようなものです。そこにはたくさんの山があって諸君の選択が待っています。どれを選ぶかは諸君の自由です。しかしどの山、どの峰もけわしく、高いのです。近ごろの大学生の中には、なるべく骨の折れない、低くて登りやすい山はないかとさがして、それを選択し、ぶらぶら歩きでそれに上ろうとする風潮が見られますが、そのような態度で大学の門をくぐることは、大学の名をはずかしめるものであり、インテリゲンチァとしての大学生の名をはずかしめるものでありましょう。選択は登りやすいかどうか、骨が折れるか、楽かというような尺度によってではなく、自分の必要や興味や関心に合っているかどうかによって、自分にとってそれが持っている内面的な意味によって行われるべきであります。ヒマラヤ登山家なら、登りやすい山どころか、一番むつかしくて、また誰も成功していない山をえらぶとか、自分たちの能力一ぱいの山を選ぶとか、何れにしてもみずからを賭け、みずからを試練するに足るものを選ぶでありましょう。私は諸君がこのヒマラヤ登山家の山えらびのような気構えで諸君の学習の自由を生かしてくれることを深く期待しております。もしそうではなくて鼻うたまじりのブラブラ歩きで登れる岡ばかりをさがし求めて、安易に大学生活を過そうとする人があったら、そのような人はむしろ大学の門を去るべきでありましょう。

 さて、このような、高い意味での学習の自由の精神によって貫かれた大学では、学生を自己決定の可能な、独立の人格として処遇し、学生の内からの発動を何よりも重要といたしますから、教師はあえて学生におせっかいをしたり、過剰庇護に陥ったりすることを抑制いたします。諸君のこれまでの、小学校から高等学校までの学校生活では、いつも先生が親切に面倒を見てくださり、先生が諸君のそばまで足を運んできて、何くれとなく面倒を見、世話をし、小言を言って下さったはずですが、大学ではそれを致しません。そこで大学では諸君の方から先生のそばに歩いてゆく必要があるのです。先生の方から歩いて近よって下さるのを持っているような、受け身の態度で居たら大学生活は諸君にとって無意味なものになるでしょう。諸君の方から歩いて近づいてゆくという態度なしには大学らしい大学は成立しないのです。研究室でも自宅でも、食堂でも、道ばたでも、どこでもいい、どしどし先生方に近づいて行って、そしてその先生から存分に滋養を汲みとるという積極性こそが、大学の成立条件、大学にとってのシネ・クワ・ノンだと言ってよいのであります。それなしには、自由な学習の場としての大学は成立しないのです。山はみずから登るべきものであって、山の方から降りて来てくれるものではないのです。本学の先生がたはお一人お一人がヒマラヤの峰々にもたとえるべき高い隆であります。それは静かに冷え冷えとしてそびえている高峰であります。先生がたは一見近よりがたいきびしさを具えて静かに、巨峰のごとく、また巨木のごとく、そこに立っておられるのです。若い先生がたは一見友だちのように諸君とつき合われるでありましょうが、それでも諸君の方に求める心、近よってゆく姿勢がなければ、遠い彼方の峰に外ならないのです。従って諸君の方から近より、話しかけ、登ってゆくより外に手はないのです。まさにヒマラヤ連峰の如きものであります。そのことを十分に覚悟して大学生活に入ってゆくことが、最も重要なことであります。

資格取得を目的とした人たちへ

 次に諸君の中には本学に学ぶことによって一定の資格を得ようとしている人が多いことと思います。文学士、経済学士の称号を取りたいと思う人、これは大部分の人がそうでしょうし、教員免許状その他の資格を得たいと思っている人も多いでしょう。これは即ち前に申しました第二の側面でありますが、この側面については本学では決して資格の安売りはしない方針であります。このような資格はそれぞれ社会的な特権を意味しますから、その付与は当然厳正に行われなければなりません。医者になるためには大学に六年以上在学して、医学士の称号を得ていなければなりませんが、もし大学が医学士の称号をいいかげんに与え、ろくすっぽ勉強もしていない学生にどしどし単位を与えるとしたら、どうでしょうか、その被害をこうむるのは患者であり、国民でありましょう。だから医師になるための基礎資格を与える権限をもっている大学が、医学士になるための学習の指導や単位の認定に当って厳格であるのは、まさに国民の大学に対する要求であると言っていいのです。和光大学が設けている人文学部や経済学部の学士号の場合は医学士の場合ほどそのルーズさの弊害は端的には眼に見えませんが、原理的には全く同じであります。

 だから本学では、そのような社会的特権としての何かの資格を得るための単位の認定は厳格に行う方針であります。学士号をうるための単位試験、いわゆる卒業に必要な単位試験は極めて厳格に行われるはずであります。そうすることが私たち大学教師の社会的責任でありますから、その点はきびしく、非人情にやってゆく積りであります。だから遊びほうけたり、サボッたりしていては単位試験に合格することはできませんでしょう。

 しかしただ厳格な試験だけで諸君を苦しませ、落第坊主を大量生産してそれでみずからを慰めようというのではありません。諸君がそのような単位試験にパスするために必要とするであろう学習の場はできるだけ用意してあげたいと考えておるのです。

 例えば今日のわが国の制度では、大学で学士の称号を得るためには、つまり大学卒業の資格をうるためには少くとも一つの外国語をマスターしていることが要求され、八単位の履修が要求されていますが、諸君の中には、残念ながら英語の学力が必ずしも十分でなかった人があるようです。そのような人たちは特別によく勉強をする必要がありましょう。本学ではそのような外国語の学力不足症状をもっている学生諸君のために、英語補習コース、ERCを設ける予定であります。英語の学力が人並みでないという自覚を持っている人はこのERCに入られることをお勧めします。入ったら担当の教師は懇切に諸君を指導して下さるでしょう。しかしこのコースに入るか否かは全く諸君の自由で、強制はいたしません。単位にもなりません。ただ必修科目の方の英語は大学における英語らしい内容で授業が行われ、厳格な単位試験が行われるでしょうから、英語の学力の足りない人はこのERCで補修を受けながら勉強すれば単位試験にも合格しやすいだろうというわけです。資格試験の一部としての英語の単位試験がうけやすいようにするための機会は提供しますが強制はしません。それを利用するか否かは諸君の自由であるのです。

 尤も本学では諸君に学士号を取得し、何かの免状をとることを決して強制はいたしません。もし諸君のうちに、学士号なんか、卒業証書なんか欲しくない、おれはこの大学の提供する学科の中で自分の学びたいものだけに全エネルギーを投入して、それだけをまっしぐらに勉強したいんだと考え、それを勇敢に決行する人があるなら、それでいいのです。私はむしろそんな気骨のある、反骨精神に富んだ学生諸君の現われることを秘かに期待しているのです。そんな学生こそが、実は前にも申したように、ほんとうに大学生らしい大学生だと言っていいのです。

 ただ、資格を得たい人は、そのために定められた制度の拘束をうけるべきであり、定められた科目を忠実に履修することを要求され、その試験は仮借なき厳格さを以て行われることを覚悟すべきであるということを言っているにすぎないのであります。

 さて大学生活の第三の側面でありますが、このことについては、今日はあまり多くを申しません。ただ諸君が第一、第二の側面の学習を誠実にやってなおかつ残されるであろう余暇を有意義な余暇活動に充てられることを期待するのみであります。もしそれがよく行われるなら、諸君はそれによって、第一、第二の側面の学習では得られなかった貴重な経験と教養をそこから得ることができましょうし、もしそれが不健全な方向においてなされるなら、それは諸君の貴い青春時代をスポイルすることになりましょう。でも諸君は自由であり、その自由をどう生かすかもまた諸君の自由な判断によることでありますから、それが悪しき自由でなしに、よき自由であるように、理性人の自由にふさわしいものであるようにすることは、諸君の諸君自身に対する、また社会に対する責任でありましょう。

 以上お話しました考え方を基本にして、和光大学を、ほんとうに大学の名にふさわしい大学にしてゆくことが、私の念願であり、また本学で働いて下さることになっている教職員諸君の希望であると私は信じております。そして諸君もまた、必ずやこの大学作りの一翼をになって、私の期待にそってくれるものと信じているのです。またそうすることが、この和光大学の創立を発意し、それを推進して、ここに小さいがしかし珠玉のような校舎を完成し、私たち教師と学生に快適な研究と学習の場を与えて下さった和光学園の理事会、評議員会、後援会の方々の熱意と期待にこたえる唯一の道であり、また諸君をこの大学に送って下さった父兄の方々の期待にこたえる所以であると思うのです。

(昭和四一年四月)